チェリビダッケとベルリンフィル 関係悪化も瑞々しいメンデルスゾーン

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1950年1月、この頃になると、
チェリビダッケとベルリンフィルの

関係はかなり悪化していたようです。

 

このコンサートの2ヶ月後の西ドイツ国内ツアーは、
ベルリンフィルがチェリビダッケを嫌がり、
フルトヴェングラーも都合がつかなかったので
クナッパーツブッシュで落ち着いたという事実からも伺えます。

 

ちなみに1947/48シーズンは、チェリビダッケは76回、
ベルリンフィルとのコンサートを行いましたが、
翌48/49シーズンでは、40回とほぼ半減しました。

 

これはフルトヴェングラーが復帰したからで、
フルトヴェングラーは逆に、前シーズン12回が、27回になりました。

 



 

その後の回数は、分かりませんが、
52年1月にフルトヴェングラーが正式に
首席指揮者=音楽監督として契約する時に、

 

チェリビダッケのことを思い、
年6回シリーズを2回の12回のコンサートを提案していましたが、
チェリビダッケは、希望していた国外ツアーが受け入れられずへそを曲げています。

 

 

ここから推測するに、チェリビダッケの50年から51年のコンサート数は、
せいぜい10数回だったと思われます。

 

フルトヴェングラーの復帰までの功労者も
フルトヴェングラーが復帰後は、一気に一割ほど近くまでにコンサート数が
減ったことになります。

 

これはフルトヴェングラーの復帰以外にもチェリビダッケの性格の
問題もあったようです。

 

まあ、そこにカラヤンが入り込む隙がったと思うし、
もちろん実力もあったのでした。




チェリビダッケのメンデルスゾーン“イタリア”

 

フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809-1847)

 

交響曲第4番イ長調作品90“イタリア”

Ⅰ(08:06)Allegro vivace
Ⅱ(06:57)Andante con moto
Ⅲ(07:28)Con moto moderato
Ⅳ(05:20)Saltarello:Presto

セルジュ・チェリビダッケ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1950年1月20日

 

忌々しい戦争も終わって、
フルトヴェングラーも復帰して
晴れてコンサートが開催できる世の中になりました。

 

チェリビダッケもさあこれからベルリンフィルという頃でしたが、
残念なことにチェリビダッケとベルリンフィルとの関係が悪くなってきました。

 

そんな頃の演奏です。

録音の古さをふきとばす瑞々しい演奏です。

 



メンデルスゾーン交響曲第4番“イタリア”

 

作曲家メンデルスゾーンは、モーツァルトと同じく神童で、
しかも多作家であり、多数の傑作を残しています。

 

序曲「フィンガルの洞窟」、ヴァイオリン協奏曲ホ短調、
有名な「結婚行進曲」を含む「真夏の夜の夢」。

 

これらと並んで、交響曲第4番「イタリア」の人気も非常に高いですね。

 

特の冒頭は印象的。

 

これほど幸福感と躍動感にあふれた曲がほかにあるでしょうか?

 

メンデルスゾーンは時代区分上、
ロマン派の作曲家と呼ばれていますが、この“イタリア”などは、
伝統的なスタイルで書かれ、モーツァルト的と言えるほど古典的です。




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