こんにちは、
ともやんです。
その交響曲は、シューベルトの没後11年目、シューベルトの兄フェルディナントの手元に保管されているひと山の楽譜の中から、ロベルト・シューマンが発見し、メンデルスゾーンがライプツィヒでみずから指揮して初演しました。
この曲は、演奏時間50分以上を要する大きさからザ・グレートという愛称が付いています。
作曲の年順からいうと第十番目に属すべきもので、1828年3月、シューベルトの死の8か月前の作品です。
シューベルトの作品出版元であるブライトコッフ・ウント・ヘルテルの目録では第7番目となり、一般的には第7番の交響曲とされています。
一部では、制作の順序から第9交響曲ともなっています。名曲だけに名演の名盤もたくさんあります。
今日は隠れた名盤、ハンス・シュミット=イッセルシュテットの名演をご紹介します。
ハンス・シュミット=イッセルシュテットのシューベルト
フランツ・シューベルト(1797-1828)
交響曲第9番ハ長調 D944“ザ・グレート”
Ⅰ(13:48)Andante-Allegro ma non troppo
Ⅱ(15:13)Andante con moto
Ⅲ(09:49)Scherzo.Allegro vivace-Trio
Ⅳ(12:21)Finale.Allegro vivace
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
北ドイツ放送交響楽団
録音:1959年3月3日~4日
ハンス・シュミット=イッセルシュテット・コレクション 1950~64録音集(30CD)
この交響曲を書き上げたシューベルトは、ウィーン好学家協会に持ち込んで上演を希望しました。
しかし、好学家協会はあまりにも膨大な作品に、上演不能ということで断ってきました。
失望したシューベルトは、原稿をそのままにして、同年の秋亡くなってしまったのです。
そして、原稿は、シューマンが訪れて発見されるまで埋もれたままになっていたのです。
シューベルトが亡くなる前年、ベートーヴェンが亡くなったとき、埋葬に向かう列にシューベルトは泣くながら参列いていたそうです。
まさか翌年自分もその後を追うとは思っていもいなかったでしょう。
享年31歳。駆け抜けるような人生でした。
でも、このザ・グレートには、そんな暗い影は感じられません。
イントロのホルンのソロを聴くだけでわくわくするような曲想です。
シュミット=イッセルシュテットは、ホルンソロの出だしは、思いを込めすぎるのを抑えるようにさりげなく始めます。
その後の展開は、明快な造形で、各楽器がそれぞれ自分の仕事をやりきっている爽快感があります。
シュミット=イッセルシュテットは、指揮者としてオーケストラの奏者たちから信頼されるタイプの指揮者で、
彼の棒の下では、メンバーたちは活き活きと演奏しているのが、感じられます。
64年と70年に来日していて読売日本交響楽団と大阪フィルハーモニーを指揮しています。
録音や映像が残っていればぜひ観たり聴きたいですね。
ハンス・シュミット=イッセルシュテット ドイツ復興の旗手
もし僕が、映画監督だったら、脚本家だったら、ハンス・シュミット=イッセルシュテットをモデルにして映画を作るでしょう。
第2次大戦後の荒廃したドイツで、新しいオーケストラを結成して、ドイツの人たちを癒し、勇気づけ、ドイツ復興に尽くそうと奔走した主要メンバーです。
シュミット=イッセルシュテットの悲愴 ドイツ復興に貢献した夢の楽団
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拙文ですが、こちらで多少触れています。
まとめ
ハンス・シュミット=イッセルシュテットで聴く、ベートーヴェンやブラームスは格調高い名演ばかりです。
そこには特別なことは何もしていないのに、充実した響きと心のこもった演奏には深い感銘を受けます。
このシューベルトもあくまで誠実にどの部分もおろそかにせず描き切っています。
ハンス・シュミット=イッセルシュテットの指揮で聴く名曲は、本当にいい曲だなと深い感銘を受けます。
指揮者の存在を忘れさせるような演奏ですが、それが彼の妙技なのかもしれません。
ずっと聴いていきたい指揮者ですね。
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