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ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 コンヴィチュニーの熱演で

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こんにちは、
ともやんです。
1945年に交響曲第9番を発表してから、ショスタコーヴィチは、8年ほど交響曲の作曲をしていませんでした。
しかし、53年3月5日スターリンが亡くなると、ショスタコーヴィチは、交響曲第10番を一気に作曲しています。
コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管は、初演から程ない54年に録音しています。それだけにソ連側の国、東ドイツの指揮者、オーケストラとして活動していることに何かおもうところがあったと思います。
特に阿鼻叫喚の終楽章は、共感という言葉が空しくなるほど、一心同体となった指揮者とオーケストラの団員たちの凄まじさを見せつける演奏です。
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コンヴィチュニー ショスタコーヴィチ交響曲第10番

ドミートリー・ショスタコーヴィチ – Dmitry Shostakovich (1906-1975)
交響曲第10番 ホ短調 Op. 93
Symphony No. 10 in E Minor, Op. 93
1.(22:47) I. Moderato
2.(03:54) II. Allegro
3.(11:28) III. Allegretto
4.(12:34) IV. Andante – Allegro
total(50:43)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 – Leipzig Gewandhaus Orchestra
フランツ・コンヴィチュニー – Franz Konwitschny (指揮)

『フランツ・コンヴィチュニーの芸術』

まとめ

コンヴィチュニーのショスタコーヴィチと聞いて意外に思いましたが、コンヴィチュニーもオーケストラも東ドイツで、しかもそれを支配しているのがソ連だったのです。

初演から、程ない時期にこの曲を録音したということは抑圧されていた東ドイツの音楽家としての爆発だったと思います。



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