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ショスタコーヴィチ 交響曲第5番と第6番 バルシャイの快演より

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こんにちは、
ともやんです。

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、ソビエト連邦(現ロシア)を代表する作曲家のみならず、

20世紀を代表する作曲家でしかも、交響曲、弦楽四重奏曲においては、ベートーヴェンに匹敵する作曲家といわれるほど偉大な作曲家です。

2か月ほどまでに、神保町ブックセンターのイベントホールで、ロシア文学者の亀山郁夫氏と作曲家の吉松隆氏のトークショーがあり、行ってきました。

なかなか興味深いトークショーで、亀山氏の著書の「ショスタコーヴィチ: 引き裂かれた栄光」を購入して、サインももらってきました。

二人のトークの中に、ショスタコーヴィチは、いつもそわそわというか、おどおどと落ち着きがなかったそうです。

スターリンの恐怖政治の中で生きていた作曲家ですから、致し方ないのかもしれません。

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ショスタコーヴィチの入門編 交響曲第5番

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)
交響曲第5番ニ短調 作品47
Ⅰ(15:29)Moderato
Ⅱ(05:33)Allegretto
Ⅲ(13:19)Largo
Ⅳ(11:14)Allegro non troppo

ルドルフ・バルシャイ指揮
ケルンWDR交響楽団

録音:1995年7月3日~8日、96年4月7日、26日
場所:ケルンフィルハーモニー

ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (Shostakovish: Symphonies)

ショスタコーヴィチの交響曲では一番有名な曲です。

第5と第9というとベートーヴェン以来、伝統的に重んぜらえてきた交響曲の番手で、どの作曲家も問題意識をもって作曲します。

ショスタコーヴィチもその例外ではなく、自分の第5交響曲を作曲にあたり、ベートーヴェンを相当意識して慎重を期したといわれています。

ショスタコーヴィチは1936年1月のプラウダ紙上で強烈に批評されて以来、従来の作曲的態度を内省し「形式主義的偏向」を清算するために努力していました。

やがて、第4交響曲を1936年の秋に、第5交響曲を1937年の秋に完成して世に問うたのでした。

第5交響曲は1937年11月21日にレニングラードで初演されると、ソビエトはもつろん、ヨーロッパやアメリカにも宣伝されました。


※サンクトペテルブルク(旧レニングラード)

ショスタコーヴィチは、彼の想念の中に人格の創成を考え、苦悩を経てそれへと到達する境地を楽想としました。

その考え方は、ベートーヴェンの第5交響曲で示した「苦悩から勝利へ」という楽想に共通するものです。

現代におけるベートーヴェンスタイルとも言えます。

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ショスタコーヴィチの交響曲第6番

交響曲第6番ロ短調 作品54
Ⅰ(18:50)Largo
Ⅱ(05:47)Allegro
Ⅲ(07:01)Presto
録音:1995年10月17日~20日
場所:ケルンフィルハーモニー

ルドルフ・バルシャイ指揮
ケルンWDR交響楽団

ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (Shostakovish: Symphonies)

ショスタコーヴィチが33歳の時の作品です。

この交響曲は、形式も3つの楽章からなる幻想曲風な構成になり、内容も抒情的で、ベートーヴェンの第6交響曲“田園”のように自然なものです。


※モスクワ

1939年12月3日にモスクワで初演されました。

マヤコフスキーの詩“レーニン”によって作曲されましたが、抒情的で田園的な気分に溢れた魅力的な曲です。

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ショスタコーヴィチの交響曲全集を選ぶなら

ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (Shostakovish: Symphonies)

ルドルフ・バルシャイ(1924-2010)は、ソ連ラビンスカヤ出身の指揮者でヴィオラ奏者でした。

ショスタコーヴィチに作曲を師事し、のちには交響曲第14番『死者の歌』の初演を行っています。

さらに弦楽四重奏曲の編曲などを通じてショスタコーヴィチと親交がありました。

その名指揮者、ルドルフ・バルシャイが、ベルティーニとのマーラー演奏で名高いケルン放送響を指揮した交響曲全集です。

バルシャイのショスタコーヴィチは、熱気あふれる名演として有名な第7番『レニングラード』ライヴや、自身の編曲版による弦楽四重奏曲集、といったアルバムがこれまでリリースされていましたが

この交響曲全集はバルシャイの実力を真に知らしめるものとして非常に注目度の高いものです。



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