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クレンペラーの名盤 ベートーヴェン第5番 不屈の魂が生んだ名盤

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クレンペラーの名盤 ベートーヴェン交響曲第

5番

 

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲第5番ハ短調作品67
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団

 

第1楽章(08:57)Allegro con brio
第2楽章(11:16)Andante con moto
第3楽章(06:16)Allegro.Attaca
第4楽章(13:25)Allegro

1959年10月録音

 



 

全身大やけどと急性両性心膜炎と終身首席指揮者

1958年10月、チューリッヒの自宅で、寝タバコが原因でシーツが燃え、近くにあった液体をかけたら、これが揮発性で、よりひどくなり、クレンペラーは、全身15%に及ぶ大やけどを負って重体に陥ってしまいました。

結局予定されていたバイロイトやオランダ音楽祭などキャンセル。

 

その後、皮膚移植手術を何度か繰り返し、1959年7月になんとか回復し、9月にはルツェルン音楽祭でフィルハーモニア管を振ってハスキルと共演し復帰。

 

しかし次は急性両性心膜炎と診断され、メトロポリタン歌劇場の出演をキャンセル。

 

ここでプロデューサー・ウォルター・レッグよりフィルハーモニア管の終身首席指揮者就任の申し出があり、不屈の精神で立ち上がったクレンペラーは、晩年の冷徹な中にも情熱を凝縮した稀代の名演を展開していくのでした。

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評論家宇野功芳氏は、このクレンペラーの芸術を情熱の氷づけと評しましたが、まさに言い得て妙と言うものです。

 

ベートーヴェンの第5から始まった60年代の快進撃

EMIのクレンペラー&フィルハーモニア管とのステレオ録音による
ベートーヴェンの交響曲全集の録音は、1957年に始まりました。

 

しかし、クレンペラーの大やけどで一時中断し、60年に完成しました。

 

この全集を聴くと分かりますが、57年に録音した第1番、2番、4番、6番”田園”、8番、9番と59年以降の3番”英雄”、5番、7番では、明らかに違っています。

 

まとめ

クレンペラーは、数々の肉体的怪我や病気を克服して、59年以降は、迷いがなくなったというか、芸術が熟してきたというかそんな感じを持ちます。

その意味では、この第5番は、記念すべき録音であり、しかも数多い第5番の録音の中でも、燦然と輝く歴史的名演と思います。

 

聴かずに死ねない名盤です。



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