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カラヤン ベートーヴェン三重協奏曲 ドイツ統一の夢を乗せて

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こんにちは、
ともやんです。

ベートーヴェンのピアノ、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ハ長調 作品56。

今日では、3人の名手が揃ってその腕を披露する目的がない限り、演奏される機会が少ない作品です。

作品番号からもわかるように英雄交響曲と同時に構想を練って書き上げられた曲と思われます。1803年にスケッチが現れ、おそらく翌年の夏に完成しました。

それを裏付けるものとして1804年8月26日付でウィーンからライプツィヒのブライトコプフ宛に送った手紙の中で、ベートーヴェンは、オラトリオ『かんらん山上のキリスト』『ボナパルト交響曲』、3つのピアノソナタ(ワルトシュタイン、第22番ヘ長調、熱情の3曲)などどともに出版を申し出ています。

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ベートーヴェンの三重協奏曲 意欲的な発想だったが

通常ピアノ、ヴァイオリン、チェロとそれぞれの独奏楽器の協奏曲は数多くありますが、独奏楽器として主役が務まる3つの楽器に独奏を分担させるというと特異にして意欲的な曲のため、各楽器の扱いにはかなり苦心のあとが見受けられます。

多分個性の強い3つの独奏楽器が結局まとめることも出来ず、楽想やメロディーとその展開において、同時期の他の作品と比べると魅力が乏しいです。

ブラームスが、ヴァイオリンとチェロのダブルコンチェルトを書いていますが、こちらはすこぶる魅力的なので、もっと魅力的な主題だったら、一気に英雄交響曲など並ぶ人気曲になっていたかもしれません。

駄作と言われることも多いですが、名手が三人が強力なサポートの元で演奏すれば、一気に魅力的な曲となります。

1969年にカラヤン&ベルリンフィルと組んだ当時ソ連を代表する三人ソリストの演奏は、LP発表当時ベストセラーになりました。

その三人とは、リヒテル(ピアノ)、オイストラフ(ヴァイオリン)、ロストロポーヴィチ(チェロ)です。ソ連国内でも三人が顔を合わせすことが少ないのにこの三人がベルリンで合流してカラヤン&ベルリンフィルと共演したのです。

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カラヤン セールスマンの本領発揮

カラヤンは、ビジネスマンとしても成功できたかもしれない人です。
カラヤンの生き方を見ていると交渉能力が凄い人だということがわかります。

もしかしてベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一へ導いたのは、カラヤンの力も多少働いたのかもしれません。

1969年、カラヤン&ベルリンフィルは、当時東側だったチェコスロバキアの「プラハの春」音楽祭に出演して、その後、モスクワに向かいました。

しかも、モスクワ公演は、いろんな困難を克服しての公演だったのです。

実は、当時ドイツは、東西に分かれていて、当然国交はなく敵対していました。

東側の一員である東ドイツは、当然カラヤン&ベルリンフィルのモスクワ公演を強行に反対しました。

一時は、ソ連当局からもカラヤンに対して公演は無理だと思うという報告もあったそうです。

しかし、ここからがカラヤンです。
しっかり強力なコネを持っていました。

1962年、リヒテルとウィーン交響楽団との共演でチャイコフスキーのピアノ協奏曲を録音してます。

その時ソ連の文化大臣エカテリーナ・フルツエヴァと親しくしていました。
カラヤンは、フルツエヴァに直接交渉して、モスクワ公演の許可を取り付けたのです。

ただ、西ベルリンから直接ソ連に行ったのでは、東ベルリンを首都とする東ドイツを刺激するので、プラハ経由でソ連に入りました。

モスクワでの公演は、チケットが即完売となりほどの大成功を収めました。
公演は、1969年5月28日から30日までの3公演はモスクワで、6月1日と2日は、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で2公演を行い全て大成功を収めました。

このソ連公演の成功でソ連とカラヤンの関係はますます良好となり、その年の9月にソ連を代表する三人のソリストがベルリンに赴き、ベートーヴェンの三重協奏曲を録音することになったわけです。

そして翌月、西ベルリン市長だった、ヴィリー・ブラントが西ドイツ首相となりました。

ブラント首相は、東方外交を積極的に行い、東欧諸国との関係正常化に動き、3年後の1972年には、東西ドイツが、お互いに国家と認め合う関係に発展するわけです。

そしてその7年後の1989年11月9日にベルリンの壁崩壊し、翌1990年10月3日に東西ドイツが統一されたのです。

結果としてカラヤンは東西ドイツ統一への道筋を引いたとも言えます。

しかし、当のカラヤンは、ベルリンの壁崩壊も東西ドイツ統一も見ることなく1989年7月16日、81歳で急逝しました。

ちょうどソニーの大賀社長と商談中で、最後の言葉「今はその時ではない」だったそうです。

カラヤンとしては、なんとしても東西ドイツ統一が見たかったことだと思います。

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カラヤン、リヒテル、オイストラフとロストロポーヴィチ

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲 ハ長調 Op. 56
Triple Concerto for Violin, Cello and Piano in C Major, Op. 56

ダヴィッド・オイストラフ – David Oistrakh (ヴァイオリン)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ – Mstislav Rostropovich (チェロ)
スヴャトスラフ・リヒテル – Sviatoslav Richter (ピアノ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Herbert von Karajan (指揮)

1.(17:58) I. Allegro
2.(05:36) II. Largo
3.(12:56) III. Rondo alla polacca
total(36:30)

【LPレコード】 ベートーヴェン: 三重協奏曲

カラヤン、ロストロポーヴィチ、リヒテル、オイストラフ、ベルリン・フィルによる、豪華なる超名盤が、アナログLP盤で限定復刻!

カラヤン、ロストロポーヴィチ、リヒテル、オイストラフ。ヨーロッパの音楽界を文字通り制覇していた「帝王」カラヤンと、ソ連(当時)の誇る巨匠たちとの火花を散らす豪華な共演が大きな話題になった超名演です。今回の180gアナログLP盤の発売にあたって、2017年に『ロストロポーヴィチ全集』発売時に使用した、2017年、パリ、Studio Art & Son にての24bit/96kHz最新リマスター音源を使用。数量限定復刻となります。
ワーナーミュージック・ジャパン

最後に

カラヤンがどこまで東西ドイツ統一を考えていたかわかりません。

でもカラヤンのことですから、自分が東方外交で動くことで、何かしらの変化を起こすことは考えていたと思います。

いやもしかしてカラヤンは、東西ドイツ統一から、東西冷戦の緩和、そして世界平和までシナリオを描いていたのかもしれません。

カラヤンの演奏は、非常に聴きやすいです。マニアには物足りない部分がありますが、一般受けは非常にいいと思います。

もしかして、カラヤンの頭の中には世界平和いや世界制覇という遠大な野望があったと思います。それが西も東もないよ、という行動力になったのではないかと僕は思います。




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