イシュトヴァン・ケルテス(1929年8月29日ー1973年4月16日)は、
20世紀においてもっともその死が、
最も惜しまれた指揮者だと思います。
1973年4月16日、
イスラエルのテルアビブの海岸で遊泳中に
大波のため水死しました。
享年43才。
ちょうどケルン市立歌劇場のメンバーによる
公演中の出来事でした。
ケルテスは、
同歌劇場の音楽総監督だったのです。
ドヴォルザーク「新世界から」ケルテス&ウィーンフィル
アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)
交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
Ⅰ(09:44)Adagio-Allegro molto
Ⅱ(11:46)Largo
Ⅲ(07:39)Scherzo:Molto vivace
Ⅳ(11:05)Allegro con fuoco
録音:1960年
イシュトヴァン・ケルテス指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
仕事でイスラエルのテルアビブに何度か行きました。
地中海に面した素敵な街で、
女性は綺麗で、食事は美味しく、
砂浜の向こうにキラキラ輝く地中海を見ていると、
思わず服を脱いで、飛び込みたくなります。
気候は、地中海性気候で、穏やかで、
ケルテスが遊泳中に亡くなった
4月の平均気温は、
最高は約22℃、最低が約14℃と
泳ぐには少し早いかなという気温でした。
ケルテスは、1929年生まれなので、
ニコラウス・アーノンクール(1929-2016)、
アンドレ・プレヴィン(1929- )、
ロリン・マゼール(1930-2014)、
カルロス・クライバー(1930-2004)、
クラウディオ・アバド(1933-2014)
と同世代で、
しかも同い年のプレヴィンが健在ですから、
本当に早すぎる死でした。
ケルテスの新世界からは、歴史的な名盤
ケルテスが、ウィーンフィルと
ドヴォルザークの“新世界から”を録音したのは、
今から60年近く前の1960年のこと。
ケルテスも30代になったばかりの頃で、
6年後にロンドン響と再録音していますが、
オーケストラの味わいもあり、
ウィーンフィル盤の方が、断然魅力的です。
ここで、宇野功芳氏のケルテス&ウィーンフィル評を引用します。
“ケルテスは「新世界」の土俗的な迫力を、ドイツ風の立派な造型に封じ込め、
しかもそれらを高い次元で統一するとともに、世界で最も芸術的なオーケストラであるウィーン・フィルの魅力を付け加えた。
ここでは、わらわれがこの曲に期待するすべての要素が、
期待以上の美しさとゆたかさをともなって音化されてゆく。
弦の厚み、ウィンナホルンの朗々たる音色、ティンパニの最強打、
そして旋律のなんとロマンティックなうたわせ方!”
ドヴォルザークでこんなにも素晴らしい演奏を披露したケルテスなら、
ベートーヴェンでもさぞかしと思わずにはいられません。
ベートーヴェンの交響曲では、
唯一、1960年のバンベルグ響との第4番が残っているようです。
※2018年6月9日現在、HMVでは購入不可。
まとめ
僕がケルテスの死を知ったのは、高校生の時でした。
高校生から見た40代は、
ずっと年上の大人というイメージでしたが、
自分自身が、60才になった今、
43才という年齢は、あまりにも若すぎます。
僕が、初めてテルアビブを訪れたのは、
90年代の後半でした。
テルアビブのキラキラ輝く地中海を見ていると、
なんで、と思わずにはいられませんでした。
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