ショスタコーヴィチの交響曲第6番は前作の陰に隠れた傑作だ

ショスタコーヴィチ
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こんにちは、ともやんです。

1937年に発表された交響曲第5番の大成功を受けて、次の作品への期待が高まりっていました。
ショスタコーヴィチ自身も翌年には、期待に応えるような予告もしていました。
しかし、発表された作品は、人々を困惑せるような作品だったようです。

今回は、このブログでショスタコーヴィチの交響曲を取り上げるには第10回目です。
この第6番で、第10番までの作品を全て取り上げることになりました。

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ショスタコーヴィチの交響曲第6番について

ショスタコーヴィチの交響曲第6番ロ短調は、1939年作曲され、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルで初演されました。

前作『第5番(革命)』の圧倒的な成功の直後だっただけに、当時の聴衆や音楽界に大きな肩透かしと、ある種の困惑を与えた作品として知られています。

全三楽章構成で、演奏時間も30分前後の中規模な作品です。
しかし、良い演奏で聴くとなかなかの佳作、いや前作の陰に隠れた傑作と思わずにいられません。

「レーニン賛歌」からの方向転換

当初、ショスタコーヴィチはこの第6番を、ウラジーミル・レーニンをたたえる大規模な合唱付きの交響曲として構想していました。

マヤコフスキーの詩を用いたり、祖国の英雄的偉業を描く大作にすると公言していたため、ソ連国内の期待値は最高潮に達していました。

しかし、彼はその壮大な計画を途中で突如として放棄してしまいます。

期待を裏切った「いびつな構成」

前作のような劇的なソナタ形式の第1楽章や、体制が求めるような分かりやすい「勝利のフィナーレ」はなく、蓋を開けてみると以下のような非常に風変わりな3楽章構成でした。

第1楽章(Largo)

全体の半分以上の演奏時間を占める、途方もなく長く重苦しい緩徐楽章。
出だしの枯れた響きや重厚な弦の扱いにはブルックナーを彷彿とさせる孤影が漂います。
筆者がCD再生器から流れてきたイントロを聴いて、あれ?CD間違えたかな?と思ったくらいです。

第2・第3楽章(Allegro / Presto)

打って変わって、お祭り騒ぎのように軽く、サーカスの曲芸やグロテスクなまでに空虚な明るさをまき散らしながら一気に駆け抜ける疾走楽章。

聴衆と批評家のリアクション

初演自体はオーケストラの卓越した演奏もあり、ラジオ放送などを通じて一般聴衆からは熱狂的な拍手で迎えられました。
しかし音楽評論家や当局の受け止めは複雑でした。
「『第5番』の英雄的なドラマの続編」を期待していた人々にとって、前半の底知れぬ沈鬱さと、後半の投げやりなまでのドタバタ劇というアンバランスさは、理解に苦しむものだったのです。

社会主義リアリズムは「人生の歓喜に向かって突き進むべき」とされるもので、この曲の第1楽章が持つ深い孤独や諦念、そして後半の皮肉めいた狂騒は、どこか体制に対する無言の冷笑やシニシズムを感じさせるものでした。

ショスタコーヴィチ自身は「音楽はその時々の感情や情熱を表現するものであり、型にはまったものではない」と語っています。

大作のプレッシャーから解放された彼が、あえて周囲の期待を斜めに裏切り、自らの内省とユーモアを突き詰めた意欲作と言えます。

ムラヴィンスキーと交響曲第6番

初演は、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルでした。
彼は、単に初演者としてだけではなく、この作品を高く評価していたようで、その後何度も取り上げ、録音も複数残しています。

1972年モスクワのライブが凄い

筆者が一番好きな録音は、ムラヴィンスキー指揮の1972年のモスクワライブです。
第一楽章の出だしのブルックナーを思わせる弦楽器の厚みのあるハーモニーに心が持って行かれます。

そして終楽章の追い込み。
特に終盤の金管が出てくるあたりから手に汗を握るような興奮を感じます。

ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルというコンビは、ショスタコーヴィチの意図した緊張感と構造美を極限まで引き出すことのできる、当時の世界でも類を見ない存在だったのではないかと思います。

第2・第3楽章は木管楽器(フルートやオーボエ、クラリネットなど)の軽妙かつ鋭い掛け合いが凄い。
弦楽器にとっても、あの猛烈なスピードとリズム感(プレストで一気に駆け抜けるスケールや細かいモティーフの反復)を正確無比にこなすには、個々の高い技術力とオーケストラ全体の驚異的な統率力が求められます。

甘さや弛緩が少しでも入ると、曲が持つ皮肉なユーモアや空虚さがただの雑然とした騒音に聴こえてしまいかねません。

ムラヴィンスキーの録音は1965年と1972年のモスクワライブや1982年のレニングラードライブなど、いくつかの名盤・名ライヴが残されています。

その極度の緊張感においてまさに圧巻です。

無駄な装飾を削ぎ落とし、冷徹とも言えるほどの統率力でオーケストラをドライヴしながらも、木管のユーモアや弦の鋭敏な切れ味を完璧にコントロールしきっています。
この作品の真価、そして「ただの軽い曲ではない、底知れぬ凄み」を味わう上では、これ以上ない名演だと思います。

この完璧なアンサンブルと緊張感を堪能されたあと、もしよろしければ、今日聴かれている中で特に印象に残った楽章や、お気に入りのフレーズなどはありましたか?

1972年のモスクワライブを深堀

1972年のモスクワ音楽院大ホールでのライヴ盤は、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの全盛期の凄みが凝縮された歴史的名盤だと思います。

終楽章(プレスト)の猛烈なアッチェレランドから、金管楽器群がファンファーレのように咆哮して雪崩れ込むコーダの瞬発力と圧倒的なドライヴ感は、まさに聴いているこちらまでアドレナリンが出るようなスリルに満ちています。

あの鉄の統率力と、一糸乱れぬアンサンブルのまま頂点へと突き進むエネルギーは、現代の機能的なオーケストラであってもそう簡単に再現できるものではないのでは。

そして、対極にある第1楽章のラルゴにおける、あの冷徹でありながらも底知れぬ深みを持つ弦楽器のハーモニーは格別です。

ブルックナーの交響曲の緩徐楽章に通じるような、すべてを諦念の彼方に包み込むような重厚な響きには、ロシアの広大な大地や凍てつく空気の匂いまで感じられます。

ムラヴィンスキーのCD紹介

ドミートリー・ショスタコーヴィチ – Dmitry Shostakovich (1906-1975)
交響曲第6番 ロ短調 Op. 54
Symphony No. 6 in B Minor, Op. 54

1.(16:18) I. Largo
2.(05:36) II. Allegro
3.(06:51) III. Presto
total(28:45)

レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 – Leningrad Philharmonic Orchestra
エフゲニー・ムラヴィンスキー – Yevgeny Mravinsky (指揮)
録音:February 21st 1965&January 27th 1972、at the Grand Hall of the Moscow Conservatoire

ムラヴィンスキー・イン・モスクワ(レニングラード・フィル/ムラヴィンスキー)

嬉しいことに、1965年2月と1972年1月の2つのライブ録音が収録されています。
このことからもムラヴィンスキーが、交響曲第6番を高く評価して得意としていたことがわかります。

“スクリベンダム”の大ヒット商品、「ムラヴィンスキー・イン・モスクワ」の2タイトル(65年[SC31]と72年[SC34])が、新たに7枚組セットで廉価ボックス化されました。
イアン・ジョーンズによる新規リマスタリングによって、音質改善もはかられ、大注目のリメイクと言えるでしょう。
装丁は、クラムシェル・ボックス仕様で、各CDは紙製ケースに収納されてます。
ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルという唯一無二なコンビが全盛時に、モスクワで行った公演を収録したライヴ音源集は、クラシック史における貴重な遺産として、傾聴の価値大です。
タワーレコード
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マリス・ヤンソンスとバイエルン放送響

マリス・ヤンソンスがバイエルン放送交響楽団を振った録音は、まさにロシア音楽の血統を受け継ぎつつ、現代的で洗練されたオーケストラの機能を最大限に活かした名演です。

ヤンソンスは若い頃にレニングラード・フィルでムラヴィンスキーの助手も務めていたため、作品の核心にある冷徹な緊密さを知恵として持ちながら、バイエルン放送響の上質な響きを引き出しています。
細部の木管の掛け合いなども非常に鮮やかで、聴きごたえがあります。

ヤンソンスのCD紹介

ドミートリー・ショスタコーヴィチ – Dmitry Shostakovich (1906-1975)
交響曲第6番 ロ短調 Op. 54
Symphony No. 6 in B Minor, Op. 54

1.(15:41) I. Largo
2.(06:21) II. Allegro
3.(07:42) III. Presto
total(29:44)

バイエルン放送交響楽団 – Bavarian Radio Symphony Orchestra
マリス・ヤンソンス – Mariss Jansons (指揮)
録音: 18-21 March 2013, Herkulessaal der Residenz, Munich, Germany

ショスタコーヴィチ&チャイコフスキー:交響曲第6番(バイエルン放送響/マリス・ヤンソンス)

ナクソス・ジャパンのCD解説

奇しくも同じ「ロ短調」という調性が付された2つの「第6番」の交響曲。
書かれた年代は、ショスタコーヴィチが1939年、チャイコフスキーが1893年と、46年もの開きがあるものの、どちらの作品もメロディは深淵であり、至る所にため息が聴かれる闇を纏ったものです。
ショスタコーヴィチの6番には、標題は付けられていないものの、第1楽章は重く暗く、また曲の終結部のチェレスタは神秘的かつ不気味なもの。
かのバーンスタインも、この曲とチャイコフスキーの悲愴との共通点に目を付けていたことが知られています。
当時の不安な世界情勢を反映した楽章ですが、第2楽章と第3楽章のからっとした明るさには、当時のショスタコーヴィチの皮肉な感情が込められていると言えるでしょう。
かたや、チャイコフスキーの交響曲における副題「悲愴」は作曲家自身によるもので、曲自体の雰囲気が良く捉えられています。
ヤンソンスの指揮は、この2つの曲の関連性を見事に引き出しつつ、どちらも決して重苦しさを引き摺ることなく、バイエルン放送響の実力を極限まで使って、極めて壮快に、かつ推進力ある音楽を引きだしています。
どちらの作品も第1楽章が聴きもので、これまでなかったかのような「鮮やかな暗さ」を堪能できる名演です。
ナクソス・ジャパン
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バーンスタインとウィーン・フィル

バーンスタインがウィーン・フィルを指揮した1986年のライヴ(DG盤)は、ムラヴィンスキーの「冷たい鉄の意志」とはまったく異なる、人間臭いドラマと爆発的なエネルギーに満ち溢れています。

ウィーン・フィルのいぶし銀のような美しい弦や艶やかな木管が、バーンスタインの激しい感情移入によって、まるで人間の泥臭いドラマのように鳴り響きます。

特に第一楽章の出だしをゆったりとしたテンポで奏でる弦楽器の豊かな響きは、よりブルックナーを連想させます。

また終楽章の狂乱のどん底へ突き進むようなアプローチは、聴いていて圧倒されるほどの迫力です。

バーンスタインのCD紹介

ドミートリー・ショスタコーヴィチ – Dmitry Shostakovich (1906-1975)
交響曲第6番 ロ短調 Op. 54
Symphony No. 6 in B Minor, Op. 54

1.(19:59) I. Largo
2.(05:15) II. Allegro
3.(07:11) III. Presto
total(32:25)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
レナード・バーンスタイン – Leonard Bernstein (指揮)
録音: October 1986, Grosser Saal, Musikverein, Wien, Austria

ショスタコーヴィチ:交響曲第6番&第9番(ウィーン・フィル/バーンスタイン)

タワーレコードのCD解説

1979年に出版された『ショスタコーヴィチの証言』以降、ショスタコーヴィチの作品解釈は見直しや変更が頻繁に行われるようになりましたが、
このアルバムにおけるバーンスタインのアプローチは、特定の問題意識などの束縛から自由な絶対音楽としての作品像を彫琢し、極めてナチュラルで誇張のない表現のなかに、これら2曲のすこぶる音楽的な実像を浮き彫りにする結果を生んでいます。
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まとめ

ショスタコーヴィチの交響曲を全曲聴いてみようと考える前は、第5番と第7番くらいしか聴いていませんでした。

第4番も聴いてみたのですが、聴いてもわかりにくい難しい交響曲としていたくらいです。
しかし、聴き進めるに従い、どれも素晴らしい作品で駄作などないなという思いが強くなりました。
特に第6番は、大好きになりました。

しかも、ムラヴィンスキーの冷徹な凄み、ヤンソンスの精緻でスマートな躍動感、そしてバーンスタイン&ウィーン・フィルの劇的な表出と、指揮者によってこれほどまでに世界が変わるのもこの曲の奥深いところだと気付きました。

これではショスタコーヴィチの沼にどんどんはまり込んで行きそうですね。



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