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クリュイタンス ラヴェル ピアノと管弦楽のための作品全集

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こんにちは、
ともやんです。

今日、6月3日は、ベルギー出身の名指揮者アンドレ・クリュイタンスの命日です。1967年6月3日にパリで癌のため急死したということですから、没後55年になります。

まだ62歳という年齢で、指揮者という仕事柄、これから円熟期を迎える年代ですから、惜しまれながらの最期でした。

亡くなる3年前の1964年に手兵のパリ音楽院管弦楽団と来日を果たし、日本の聴衆に清新な感動を呼び起こしてくれたそうです。

さて、クリュイタンスはフランスの指揮者と思われているようですが、出身はベルギーのアントワープでそこで音楽を学び、デビューもし研鑽を積みました。

32年、28歳の時にフランスに行き、リヨンやボルドー、ヴィジーなどの地方歌劇場で実績を重ね、47年にパリのオペラ・コミークの音楽監督に就任したそうで、当時クリュイタンスも既に40歳を越えているので苦労人だったようです。

しかし、その2年後の49年には当時フランス最高のステータスを誇ったパリ音楽院管弦楽団の第12代首席指揮者に就任しました。

亡くなるまでその地位にあったという記されている本や情報もありますが、オーケストラ等の資料では60年にはクリュイタンスは退任し、その後67年まで首席指揮者の地位は空席になっていたようです。ただその期間もクリュイタンスが実質的には首席指揮者として活動していました。

クリュイタンスがパリ音楽院管の首席指揮者に就任してからの約20年弱の活躍は目を見張るものがあります。

バイロイト音楽祭、ミラノ・スカラ座、ウィーンフィル、ニューヨークフィルの指揮台に立ち、当時既にカラヤンが常任指揮者だったベルリン・フィルとカラヤンよりも早くベートーヴェンの交響曲全集を録音し、57年にはウィーンフィルのアメリカ公演の指揮者にも選ばれ大成功を収めています。

さて、よくクリュイタンスの演奏は、繊細でエレガントで流麗、色彩豊かと言われますが、それは一面しか見ていない、いや聴いていないと思います。

時に生々しく武骨な響きも垣間見られ、そこが堪らない魅力です。
例えば、ラベルのピアノ協奏曲など、ピアニストの演奏にばかり聴き入りそうですが、これほど音の魔術師と言われたラヴェルのえげつなくカッコいい管弦楽伴奏を堪能させてくれる人は初めてです。

ぜひ、クリュイタンスの指揮でラヴェルの名曲集を聴いて欲しいです。

なお、昨日6月3日から水谷豊監督檀れい主演で映画「太陽のボレロ」が全国の映画館で封切られます。
当然映画の中でもボレロが演奏されると思います。

ボレロに関しては、クリュイタンスは、本来の端正にエレガントな演奏を聴かせてくれます。しかも何度聴いてもその味わいは最高です。

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クリュイタンス ラヴェル 名演集

モーリス・ラヴェル – Maurice Ravel (1875-1937)
ピアノ協奏曲 ト長調
Piano Concerto in G Major

1.(07:46) I. Allegramente
2.(08:41) II. Adagio assai
3.(03:59) III. Presto
total(20:26)

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左手のためのピアノ協奏曲
4.(18:18) Piano Concerto for the Left Hand

サンソン・フランソワ – Samson Francois (ピアノ)
パリ交響楽協会管弦楽団 – Orchestre de la Societe des Concerts Symphoniques de Paris
アンドレ・クリュイタンス – Andre Cluytens (指揮)

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ボレロ
5.(15:31) Bolero

パリ交響楽協会管弦楽団 – Orchestre de la Societe des Concerts Symphoniques de Paris
アンドレ・クリュイタンス – Andre Cluytens (指揮)

ラヴェル: ピアノと管弦楽のための作品全集 アンドレ・クリュイタンス パリ音楽院管弦楽団

天才ピアニスト、フランソワと名指揮者クリュイタンス。加えてオーケストラはパリ音楽院管弦楽団という、当時のフランスを代表していた最高のメンバーによるラヴェルのピアノ作品、協奏曲、管弦楽集です。両者の個性とラヴェルの感性が渾然一体となった、不朽の名作・名演です。なお、このシリーズにはブックレットは付属しません。
ワーナーミュージック・ジャパン



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コメント

  1. 小澤雄一 より:

    クリュイタンス・ファンとしてブログを楽しく読ませていただいております。
    ただ、クリュイタンスは1960年にパリ音楽院管弦楽団の音楽監督を辞任しております。余談ですがパリ管弦楽団がクリュイタンスの死を期にに新設された、というイメージがありますが彼の存命中に新しいオーケストラ、つまりパリ管弦楽団の設立の動きが始まっていました。
    またクリュイタンスは若い頃にフランスに帰化しています。
    SACD化が活発なこともあり私もクリュイタンスは今でも愛聴しています。
    今後とも楽しいエッセイを期待しています。

    • ともやん ともやん より:

      小澤雄一様
      いつもお世話になっています。
      貴重な情報ありがとうございました。
      クリュイタンスが60年に辞任していること、フランスに帰化していた情報などは初めて知りました。

      私が資料としている以下の本では、クリュイタンスが亡くなるまでパリ音楽院管弦楽団の音楽監督、首席または常任指揮者の地位にあったと書かれているか、またそれを匂わせているのでそのままブログにも書きました。
      ただウィキペディアでパリ音楽院管弦楽団をみるとクリュイタンスの首席指揮者の時期が1946-1960と書かれ、60年から67年は空席だったとなっています。
      ということで、記事の該当する部分を小澤様から指摘頂いたメールとウィキペディアの情報から一部修正してみました。
      今後ともよろしくお願いします。

      参照本:『演奏家別クラシック・レコード・ブック指揮者篇 レコード芸術・別冊』『世界の指揮者名鑑866』『名門オーケストラを聴く!』以上音楽之友社『名指揮者120人のコレを聴け!』洋泉社『指揮者とオーケストラ』立風書房

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