クラシック 名盤 感動サロン

カラヤンの名盤 戦後46年からのウィーンフィルと名演集を聴け

日産の元会長カルロス・ゴーン氏の逮捕は、

日本のみならずフランスを中心に世界中に衝撃が走りました。

 

ことの真相は今後明らかにされるでしょうが、
ゴーン氏は、経営不振にあえぐ日産を建て直した

経営者であることは間違いありません。

 

しかし、その後大きな権力を持つにあたり、

全く驕りがなかったかというと違うかなと思います。

 

僕は、ゴーン氏の逮捕劇を見ていて、

カラヤンが晩年ベルリンフィルとの確執で、

終身指揮者の地位を辞任したことを思い出しました。

 

カラヤンは、60年代以降、

ヨーロッパ音楽界を席巻して大きな権力を持ち、

帝王とまで呼ばれた指揮者です。

ここにも驕りがなかったというと違うと思います。

 

勝って兜の緒を締めよ、驕る平家は久しからず、

と日本にもいい気になるなよという戒めの言葉があります。

 

でも、カルロス・ゴーンほどの人でも、

ヘルベルト・フォン・カラヤンほどの人でも

驕る気持ちを最終的にコントロールできないのですから、

これは権力を持った人間の性(サガ)と言うしかないです。

 




カラヤンの名盤 戦後最初のコンサートはウィーンフィルと

 

カラヤンの戦後は、

ナチに協力した容疑者として

失業者というゼロからどころかマイナスからのスタートでした。

 

カラヤンは、ドイツ敗戦直前にミラノに亡命していて、

戦後はトリエステに滞在していました。

 

記録によると戦後最初のコンサートは、

トリエステでのジュゼッペ・ヴェルディ市立劇場管弦楽団を数回指揮したものでした。

 

その後、カラヤンは故郷ザルツブルクに戻ります。
ここで連合軍からの非ナチ化審理が始まったのです。

 

カラヤンは、ナチ党員だったことを認め、

しかし、活動家ではなく、しかも自分の妻が1/4ユダヤ人であり、

彼女との結婚により仕事が減ったという主張が認められたのか、

1945年12月15日付けで演奏活動再開の許可がアメリカ軍から降りたのでした。

 

これはフルトヴェングラーが2年かかったことに比べ、

あまりにも早い許可で、その後その許可を出した

アメリカ軍の担当者は処分を受けています。

 

しかし、処分は取り消されず、

46年1月にウィーンでカラヤンはウィーンフィルを指揮したのです。

実はこれがカラヤンの正式なウィーンフィルデビューだったのです。

 

しかし、ことはうまく運びません。

今度はウィーンを支配していたソ連軍がコンサートの禁止を指示してきました。

結局コンサートは1回だけだったようです。

 

しかしこのウィーンでカラヤンには新しい出会いがありました。
それはEMIのプロデューサー、ウォルター・レッグとのものでした。

 

レッグをカラヤンは意気投合し、紆余曲折を経て、

46年12月からウィーンフィルとの録音を開始したのです。

 

カラヤンは、コンサートは禁止されていたけど、

録音まではその効力がなかったのです。

 

そして最初に録音された曲が、ベートーヴェン交響曲第8番でした。

 



カラヤンの名盤 戦後すぐのウィーンフィルとのベートーヴェンを聴け

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第5番 ハ短調 「運命」 Op. 67
Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67

 

1.(07:21)I. Allegro con brio
2.(10:45)II. Andante con moto
3.(04:59)III. Allegro
4.(08:50)IV. Allegro
total(31:55)

 

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Herbert von Karajan (指揮)
録音: 1948

 

* * * * * * * * *

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第8番 ヘ長調 Op. 93
Symphony No. 8 in F Major, Op. 93

 

1.(07:43)I. Allegro vivace e con brio
2.(03:41)II. Allegretto scherzando
3.(04:24)III. Tempo di menuetto
4.(07:42)IV. Allegro vivace
total(23:30)

 

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Herbert von Karajan (指揮)
録音: 1946

 

『ウィーン・フィルとの録音集1946-1949(オフィシャル・リマスター・エディション)』

 

カラヤン没後25周年記念完全限定盤《Karajan Official Rematered Edition》。帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンの没後25年の年にお届けするカラヤン芸術の精華。全て最新リマスター音源によりその豊麗な世界が更に輝きをまして登場!!大曲だけでなく、帝王カラヤンの聞かせ上手の天才ぶりが十全に発揮されています。戦後すぐのウィーン・フィルとの演奏を収録。「第九」は、第ニ時世界大戦後、カラヤンがナチ関係者としての戦犯容疑のため、公開演奏を禁止されていた時期に名プロデューサーのワルター・レッゲがカラヤンのために提供した演奏です。その他、オペラからのハイライト録音も収録。アビイ・ロード・スタジオによる、オリジナル・マスターテープから24bit/96khz最新リマスターによるボックスです。
ワーナーミュージック・ジャパン

 

 



カラヤン&ウィーンフィルの名盤 ベートーヴェンの交響曲第5番と第8番

 

第5番、第8番、共に名演です。

 

戦後最初の録音である46年の第8番は、

カラヤンにしてはやや遅めのテンポを取り、

確かな足取りの正攻法な演奏です。

 

しかもその丁寧な音楽作りは後年にも引き継がれています。

 

第5番は、逆にトスカニーニを彷彿とさせる、気迫の演奏で、

ウィーンフィルの綺麗ごとではない音色に惹かれます。

特に割れたホルンの音にウィーンフィルらしさを感じます。

 

この演奏は、カラヤンのベートーヴェンの中でも特に感銘深いものです。

 

 

 

まとめ

カラヤンと言う人は、音楽的な才能はもちろん、

人を引き付ける魅力も多くを持ち合わせていたようです。

 

戦後初めて指揮したウィーンフィルのコンサートでも、
開始前は、まばらな拍手だったが、

終演後のは、割れんばかりの拍手と喝采を受けたそうです。

 

1938年に30歳にして初めてベルリンフィルを振って、

「奇蹟のカラヤン」と呼ばれた時もそうでした。

 

そんな人だからこそ、単に権謀術数に優れていただけでなく、

頂点に上り詰めたのかもしれません。

 




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