ともやん

シューリヒト

カール・シューリヒトの名盤 戦時中のベートーヴェンの“田園”

1943年と言えば、 第二次大戦の戦況も ドイツに取っても厳しくなってきていました。 この頃より 連合国軍の大規模な ベルリン爆撃作戦が開始され、 連日のように空襲がありました。 フィルハーモニー楽堂が 受けた最初の被害では、 外観はかなり...
フルトヴェングラー

フルトヴェングラー 最後のウィーンフィルとのコンサート

こんにちは、 ともやんです。 フルトヴェングラーが、聴衆の前で最後に指揮したのは、1954年9月19日と20日、ベルリンの芸術週間という音楽祭ででした。 プログラムが、ベートーヴェン交響曲第1番と自作の交響曲第2番。 オーケストラは、首席指...
ショスタコービッチ

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 起死回生、名誉回復の傑作!?

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、 ソヴィエト連邦の作曲家でした。 ソヴィエト連邦はなくなりましたが、 ショスタコーヴィチの創作活動は、 ソヴィエト史と切っても切れない関係があります。 僕が、初めてモスクワに行ったのが...
ショスタコービッチ

ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光 刊行記念講演に出席して

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、 紛れもない現代の作曲家です。 世代的にもカラヤン(1908-1989)、 朝比奈隆(1908-2001)と同世代で、 僕のお祖父さん世代にあたります。 でも、どうも取っつきにくい部分...
フルトヴェングラー

フルトヴェングラー ベートーヴェン交響曲”田園”と第8番

こんにちは、 ともやんです。 田園のスタジオ録音がされた同じ年、1952年1月、ついにヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、ベルリン・フィルとの契約書にサインをしました。 正式には、1934年にヒンデミット事件で抗議の辞任をして以来、18年ぶ...
フルトヴェングラー

フルトヴェングラー 第九 ’51年バイロイト音楽祭

こんにちは、 ともやんです。 日本国政府が、経済白書で、「もはや戦後ではない」と宣言したのは、1956年(昭和31年)のことで、敗戦から11年目の事でした。 さて、同じ敗戦国であるドイツはどうなのでしょうか? 東西で分断されていたので、日本...
フルトヴェングラー

フルトヴェングラーの名盤 ベートーヴェン交響曲第5と7番

こんにちは、 ともやんです。 フルトヴェングラーのベートーヴェンの名盤が続きます。 フルトヴェングラーと言えばベートーヴェンですね。 特に1947年ナチスに協力した疑いが晴れて、戦後初めての演奏が、やはりベートーヴェンでした。 第6番“田園...
フルトヴェングラー

フルトヴェングラーの名盤 ベートーヴェン交響曲第2&4番

こんにちは、 ともやんです。 どうしてフルトヴェングラーに魅かれてしまうんだろう。 いつも考えてしまうのです。 どうして?って。 僕が生まれる数年前、63年前の1954年11月30日に病により帰らぬ人になりました。 68歳。 長寿の多い指揮...
フルトヴェングラー

フルトヴェングラーの名盤 ベートーヴェン第1番と英雄 世界遺産級

こんにちは、 ともやんです。 僕が初めてフルトヴェングラーの名前を聞いた、または見たのは、中学時代に取っていたミュージックエコーという月刊誌上だったと思います。 誌面で、ベートーヴェンの“運命”の有名なイントロについてフルトヴェングラーとト...
ケルテス

ケルテス ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

こんにちは、 ともやんです。 イシュトヴァン・ケルテス(1929年8月29日ー1973年4月16日)は、20世紀においてもっともその死が、最も惜しまれた指揮者のひとりだと思います。 1973年4月16日、イスラエルのテルアビブの海岸で遊泳中...
ブルックナー

朝比奈隆のブルックナー第2番 雄大はスケールと詩情に身をまかせ

僕は、80年代後半、 朝比奈隆氏のコンサートに何度が行きました。 もう30年ほど前なので、 正確な回数もプログラムもあまり憶えていませんが、 東京ということもあり、 オーケストラは、手兵の大阪フィルではなく、 新日本フィルや読売日響だったと...
ベートーヴェン

ムラヴィンスキー ベートーヴェン交響曲第5番 全てを粉砕する超名演

こんにちは、 ともやんです。 ムラヴィンスキー(1903-1988)は、旧ソ連の国宝と呼ばれた人です。 ただ旧ソ連当局にとって、彼は目の上のたんこぶ的な存在でもあったそうです。 ムラヴィンスキーは、芸術をする上で妨げとなる要求は、たとえ旧ソ...