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フルトヴェングラー 最後のウィーンフィルとのコンサート

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こんにちは、

ともやんです。

 

フルトヴェングラーが、聴衆の前で最後に指揮したのは、1954年9月19日と20日、ベルリンの芸術週間という音楽祭ででした。

 

プログラムが、ベートーヴェン交響曲第1番と自作の交響曲第2番。

 

オーケストラは、首席指揮者を務めていたベルリンフィルハーモニー。

 

そして、もう一つのオーケストラ、ウィーンフィルハーモニーとの最後のコンサートは、1954年8月30日、ザルツブルク音楽祭でのものでした。

 

まさに亡くなるちょうど3か月前のことでした。

 

なお、ウィーンフィルととは、このあと9月28日から10月6日まで、ワーグナーの“ワルキューレ”をEMIで録音するためセッションで共演しました。

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フルトヴェングラー最後の年 過酷なスケジュール

 

1953年10月下旬、

 

フルトヴェングラーは、ローマに向かい大プロジェクトに取り組みだしました。

 

ローマの放送局のオーケストラで、一日一幕ずつ、ワーグナーの「指環」の公開録音・放送をしたのでした。

 

このローマの「指環」は、11月27日に終了し、

 

12月に入るとベルリンとウィーンで指揮し、54年3月まで休暇を取りました。

 

この休暇中に自身の第3交響曲の仕上げに取り掛かったのです。

 

そして1954年3月よりこのシーズンの後半が始まりました。

 

3月12日にロンドンのフィルハーモニアへの客演、

 

その後空路でベネズエラに向かい、19日と21日にカラカスのオーケストラを指揮。

 

そして5日後の3月26日には、チューリッヒのコンサートに客演しました。

 

そしてベルリンフィルと3月30日にシュツットガルト4月1日、2日はハンブルク4月4日~6日までベルリンでコンサート。

 

次は、ウィーンに移動し、ウィーンフィルと4月10日~17日まで5回のコンサート。

 

またベルリンに戻り、4月25日から27日まで三日連続のベルリンフィルとのコンサート。

 

翌4月28日からは、結果的に最後になったベルリンフィルとの国内外のツアーが始まりました。

 

ハノーファーを皮切りにドイツ、フランス、スイス、イタリアの計19の都市をまわって、

 

ベルリンに戻り、5月23日から25日まで三日連続のコンサートを行っています。

 

そして5月3日には、またウィーンでウィーンフィルとのコンサート。

 

6月に入ると再びスイスに行き、ジュネーブとローザンヌでスイスロマンド管弦楽団を客演して、ようやくシーズンが終わりました。

 

まるで、各地に最後の挨拶をしに回っているようなもので、

 

この強行スケジュールが死を早めたと言う人もいるくらいです。

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フルトヴェングラー最後のザルツブルク音楽祭でウィーンフィルと

 

1953年から54年のシーズンを終えて、一応7月中旬まで休めましたが、後半からザルツブルク音楽祭が始まりました。

 

この時の音楽祭では、ウェーバーの「魔弾の射手」とモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を5回ずつ指揮しました。

 

その合間にバイロイト音楽に行きベートーヴェンの第九を指揮し、

ルッツェルン音楽祭にも出演して、またザルツブルクに戻りました。

 

そして8月30日のザルツブルク音楽祭。曲目は、ベートーヴェンの交響曲第7番と第8番。

 

結果としてウィーンフィルとの最後になったコンサート。

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フルトヴェングラー ベートーヴェン ウィーンフィルと最後の

 

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲第7番イ長調作品92
交響曲第8番ヘ長調作品93

ウィリヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
1954年8月30日、ザルツブルク音楽祭でのライブ

 

『ベートーヴェン:交響曲全集』

 

当然だろうが、この時、ウィーンフィルのメンバーも当のフルトヴェングラーも、これが最後のコンサートになるとは、思いもしていなかったでしょう。

 

いやもしかしたらフルトヴェングラー自身は、その気配は感じていたかもしれません。

 

それは、死を意味するのではなく、この頃のフルトヴェングラーは、聴力に問題を抱えていたからです。

 

このコンサートの1ヶ月と少し後、ベルリンで

ベルリンフィルのメンバーを集めて補聴器のテストをしています。

 

そして最後に意味深な言葉を残しています。
「ありがとう、みなさん。もう充分です。さようなら」

 

これがベルリンフィルの団員たちが聞いた、首席指揮者の最後の言葉でした。

フルトヴェングラー最後のベートーヴェン第7、8番

さて、第7番は、どっしりと遅めのテンポで、ウィーンフィルの厚みのある響きを魅力的です。

 

特に心に訴えて来る第2楽章が絶品。

 

終楽章も、急がず焦らず、遅いテンポで充実した響きが素晴らしいです。
ホルンのウィーンフィル独特な割れた響きも魅力です。

 

ライブながら録音状態はとても良いと思います。

 

このCDでは、第4番と第7番が一緒に収録されていますが、第4番から第7番に移ると、音の鮮度が全く違うのが分かります。

 

ちなみに第4番は、

53年9月4日、

同じウィーンフィルとのミュンヘンでのライブです。

 

 

第8番は、残っている録音自体が少ないので、ストックホルムフィル管よりずっと貴重な録音だと思います。

 

演奏自体は、遅めのテンポで、抑制した表現の中、ウィーンフィルの充実した響きが伝わってきます。

 

しかし、第一楽章の出だし12小節直前のルフトハウゼは、なんか違和感を感じます。

 

でも、展開部の盛り上げは素晴らしいですね。
これぞフルトヴェングラーという感じです。

まとめ

フルトヴェングラーのウィーンフィルとの最後のコンサートは、

 

得意のベートーヴェンの名演が残されていてうれしい限りです。

 

しかもMEMORIES REVERENCE(イタリア・ミラノ)レーベルのリマスターは、不必要な加工をしていないので、音の生々しさがぐっと来ます。

 

僕は、中古CD店などでも、このレーベルならある程度信頼して購入していますね。

 

またこの全集には、シュツットガルト放送響との第1番、

 

ベルリンフィルとの50年6月ライブの“英雄”

 

ベルリンフィルとのツアーで54年5月にパリに寄った時の第5番、

 

ベルリンフィルとの54年5月の“田園”最後の録音

 

ウィーンフィルとの53年5月の第九など

興味深い演奏が収録されています。

 

全集としては無理やりまとめた感がありますが、

 

個々の録音が、どれもフルトヴェングラーの中でも

 

特に貴重なものが多いので、改めてレビューしたいと思います。



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