63歳からのユーモレスク憧れの諏訪根自子の響きに励まされ

ドヴォルザーク
[広告] 当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

こんにちは、
ともやんです。

2021年8月から通い始めたバイオリン教室。
スズキメソードのカリキュラムに沿って、一度も休むことなくレッスンを続けてきました。

そして先日、ついにドヴォルザークの名曲「ユーモレスク」で“よくできました”の印をいただきました。

小さな一歩ですが、自分にとっては大きな節目です。
もちろん、合格したから終わりではなく、これからも繰り返し弾き込み、音程やボウイングを磨いていかなければなりません。

スポンサーリンク

63歳から始めたヴァイオリン

楽器の上達は、つくづく練習時間に比例するものだと実感しています。
63歳11か月で始めたヴァイオリン。

若い頃のように無限の時間があるわけではありません。
残りの人生を考えれば、あれもこれもと手を広げることはできない。

そこで昨年いっぱいで4つの団体に所属していた合唱活動を1つに絞りました。
その団体も5月の定期演奏会をもって休団予定です。

目指すは、市民オーケストラに入ってステージに立つこと

夢は少しずつ、しかし確実に具体化してきました。

ドヴォルザークのユーモレスク

さて、今回“よくできました”をもらった「ユーモレスク」について触れておきましょう。作曲者はチェコの作曲家、アントニン・ドヴォルザーク。

原曲は1894年、アメリカ滞在中に書かれたピアノ曲集《8つのユーモレスク》作品101の第7曲です。

穏やかな三部形式で、親しみやすい旋律と軽やかなリズムが魅力。
中間部の少し陰りを帯びた旋律が、単なる愛らしさにとどまらない深みを与えています。

現在ではヴァイオリンをはじめ、さまざまな編曲版で広く演奏され、発表会の定番曲としても知られています。

60歳の手習いに励む

「少年老い易く学成り難し」という言葉があります。
若いうちは先が長いと思いがちですが、年月はあっという間に過ぎ去る。

だからこそ、今この瞬間を大切にし、学び続けることが大切だという教えです。

還暦を過ぎてから60歳の手習いとして始めた私にとって、この言葉は重く、そして励ましにもなっています。

スポンサーリンク

諏訪根自子の名演に出会って

最近は、ユーモレスクのヴァイオリン演奏をさまざまに聴き比べています。
そんな中で出会ったのが、諏訪根自子さんの録音でした。

1920年生まれ、美貌の天才ヴァイオリニストと称された存在。
日本で初めてこの曲を録音した演奏家でもあります。

YouTubeで聴いたその演奏は、驚くほど気品に満ち、音色は澄みわたり、フレーズの歌わせ方が実に自然。

テンポは決して速くありませんが、旋律がしなやかに流れ、ひとつひとつの音に生命が宿っています。

「ユーモレスク」という題名から受ける軽妙な印象を保ちながらも、どこか凛とした佇まいがある。
まさに名演です。

自分が弾くユーモレスクは、まだまだ音程も甘く、弓も震えます。
しかし、こうした名演を目標に据え、少しでも近づきたいと願うことが、次の練習への原動力になっています。

CD諏訪根自子の芸術

日本コロムビアに残したSP音源(1933-35)の全てを収録しています。
戦前の日本人の心をとりこにした元祖美少女ヴァイオリニスト、諏訪根自子のアルバムです。

1933年から35年に掛けて録音された全26曲が収録されています。

諏訪根自子(ヴァイオリン)
上田仁(ピアノ)
ナディダ・ロイヒテンベルク(ピアノ)

僕はyoutubeで聴きましたが、音質は悪くなく、素直に聴くことが出来ました。

「諏訪根自子の芸術」

■山形県庄内地方の豪商の一族、諏訪順次郎の娘として1920年、東京府に生まれる。
父は有島武郎、有島生馬といった白樺派のメンバーと親交を持ち、クラシックのSP盤を愛聴していた。
3歳からヴァイオリンを習いはじめ、たちまち上達して、在日ロシア人のA・モギレフスキーに師事。
7歳のときに一条公爵家の園遊会で演奏を披露。1930年に来日したロシアのヴァイオリニスト、エフレム・ジンバリストの前で演奏して絶賛される。
■1931年に朝日新聞が「天才少女」として書き立て、翌年12歳で初のリサイタルを行ない「神童」として時代の寵児となる。
しかし、翌年には両親が離婚。
この家庭不和をモデルに里見弴が、小説『荊棘の冠』を発表。
さらに根自子の名前を高めるのに貢献することとなった。
■1936年にベルギー留学。
1938年にパリに移るが、第二次世界大戦が勃発。
ドイツ軍のパリ占領後、1942年にベルリンに移るが、その後、終戦までパリとベルリンを往復する生活を送る。
クナッパーツブッシュ指揮のベルリン・フィルと共演し、ナチスの宣伝相ゲッベルスからストラディヴァリウス(と称される)ヴァイオリンを贈られる。
しかし、戦後になってこの楽器が、ナチスに虐殺されたユダヤ人が所有していた物との騒ぎが起こり、彼女の立場を危うくすることとなった。
■ベルリンが陥落し、アメリカ軍に拘束された根自子は米国を経由して帰国。
戦後も1960年以降、一線を退き、幻のヴァイオリニストと化していた。
1980年に突然、キングレコードからバッハの最新録音盤をリリースし、オールド・ファンを驚かせるが、演奏活動は私的なサロンに留まった。
この機に深田祐介が小説『美貌なれ昭和-諏訪根自子と神風号の男たち』を刊行。
1985年にはテレビ朝日が、小説を長編ドラマ化し『美貌なれ昭和-東京ロンドン間1万5千キロに挑んだ「神風」号の男たちの壮大なロマン・天才バイオリニスト諏訪根自子の華麗な旋律』として放映。
若い世代にも諏訪根自子の名前を知らしめることになった。
■2012年3月6日に脳梗塞の後遺症のために死去。享年92歳。
日本コロムビア

最後に

63歳からのヴァイオリンへの挑戦。
どこまで上手くなれるかは分かりません。
それでも、ひとつの曲に“よくできました”をもらえた喜びは、何ものにも代えがたいものです。
ユーモレスクのやわらかな旋律のように、肩の力を抜きながら、しかし歩みは止めずに。
これからも音楽とともに、学び続けていきたいと思います。



スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました