こんにちは、
ともやんです。
バレンボイムが90年代にベルリンフィルを指揮して録音したブルックナーの交響曲全集から第3番を聴きました。
バレンボイムの指揮は、特に好んでは聴いていないし、むしろ遠ざけている感があります。ピアノはモーツァルトの協奏曲などは時々聴きますが、どうもあまり聴く気持ちになりません。
これはなぜかと考えると、大きな理由は、敬愛していた音楽評論家の宇野功芳氏が、バレンボイムの指揮を評価していなかったからです。
敬愛していた、と過去形で書きましたが、現在は参考にするに留めています。
しかし、中学生にクラシック音楽ファンになってから、宇野さん評論はかなり読みましたし、宇野さんの本は、レコード、CD選びの教科書のように使っていました。
指揮者バレンボイム
バレンボイムは、1942年アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。当時のブエノスアイレスは、ヨーロッパの災禍を避けた音楽家を中心とし栄え、音楽の一大中心地となっていました。バレンボイムの1歳年上にはアルゲリッチもいます。
バレンボイムはピアニストとしてのイメージが強く、僕も実際そういうイメージを持っていて、指揮者に進出したピアニストと思っていました。
しかし、2010年に音楽之友社から出版された「世界の指揮者名鑑866」のバレンボイムのページに書かれている内容をみると、へえーと感じました。
バレンボイムは、1950年8月、7歳にしてピアニストとしてデビューしています。そして9歳の時にマルケヴィッチから「ピアノも素晴らしいが、弾き方からするとまぎれもなく指揮者」という忠告を受け、それが生涯を決定づけたそうです。
その9歳の夏、つまり52年の夏、ザルツブルクでマルケヴィッチが開催したマスタークラスに参加し、終了演奏会ではソリストを務めました。その時の忠告のようです。
つまりバレンボイムは、ピアニストから指揮者になったわけではなく、最初から指揮者を目指していたのです。
だからピアノがめっぽう上手い指揮者ということでしょうか。それが桁外れだったことからピアニストとして有名になっちゃったって感じですね。
実際、指揮者にピアノの上手い人は多く、すぐバーンスタインやプレヴィンを思い出しますし、フルトヴェングラーも録音で素晴らしいピアノを聴かせています。
その後、1981年28歳の時にバイロイト音楽祭にデビューしワーグナー指揮者として高い評価を得て、シカゴ交響楽団、ベルリン州立歌劇場音楽総監督などの重要ポストを歴任します。
これから指揮者バレンボイムを聴いていく楽しみが出来ました。
バレンボイム ブルックナー交響曲第3番
早速バレンボイムのブルックナー交響曲全集から僕の好きな第3番を聴きました。エーザー版ということで、聴きなれないもので、普段聴いている響きと違うことは確かです。
録音が、90年代ということで、カラヤン亡きあとの直後ですが、サウンド的に絢爛豪華なものから、なにかしっとりとずっしりとした響きに好漢をもちます。
これから他の曲も聴いていく楽しみが出来ました。
アントン・ブルックナー – Anton Bruckner (1824-1896)
交響曲第3番 ニ短調 WAB 103 (1878年稿・エーザー版)
Symphony No. 3 in D Minor, WAB 103 (1878 version, ed. F. Oeser)
1.(20:50) I. Gemassigt, mehr bewegt, misterioso
2.(16:23) II. Andante – Bewegt, feierlich, quasi Adagio
3.(06:59) III. Scherzo: Ziemlich schnell
4.(15:25) IV. Finale: Allegro
total(59:37)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ダニエル・バレンボイム – Daniel Barenboim (指揮)
ブルックナー: 交響曲全集 ヘルゴラント ダニエル・バレンボイム ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
本作は、バレンボイムが天下のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とともに90年代に録音し高い評価を得た、彼にとって2度目のブルックナー全曲録音ボックスの再発売です。
70年代にシカゴ響と行った1度目の全曲録音に比しても円熟の色合いは段違いで、90年代に飛躍的な成熟を遂げたといわれるバレンボイムの、現代の巨匠と呼ばれるに相応しい名録音です。
90年代を通じてのベルリン・フィルのサウンドの移り変わりも実感出来る内容も興味深いもの(カラヤン死去の直後からスタート)。バレンボイム自身も80年代のパリ管時代から90年代のシカゴSO時代へと進化していく中で、この全曲録音は非常に重要なもの。
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