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フルトヴェングラーのバッハ バロック時代のスタイルを超えて

フルトヴェングラー
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こんにちは、

ともやんです。

 

フルトヴェングラーのザ・レガシーというCD107枚組を購入したにも関わらず、

 

なかなか聴き進めていなかったのは気になっていました。

↓ ↓ ↓


Wilhelm Furtwangler – The Legacy [107CD+DVD+CD-ROM]

 

まあ、僕の場合は、毎日新規で1枚から2枚聴いていますが、購入もしているので、生きているうちに全部聴くことが出来るかなって感じです。

 

でも、フルトヴェングラーに魅せられてしまった僕としては、まあ、フルトヴェングラーと心中くらいの気持ちで、これにクレンペラーとクナッパーツブッシュ、シューリヒトが加わり、

なんとか100歳までは絶対生きたいと思う、今日この頃です。

 

さて、今日はフルトヴェングラーのバッハを聴きたいと思います。

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フルトヴェングラーのバッハ 管弦楽組曲第3番

ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)
管弦楽組曲第3番ニ長調 BMV1068
ウィリヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1948年10月22日ライブ録音

 

 

フルトヴェングラーのバッハなんて、まったく期待しないで聴きだしたけど、これが素晴らしいのです。

 

バロックというと、もうすっかり古楽器のスタイルが主流ですが、フルトヴェングラーは、当然時代的にもそんなスタイルにとらわれず、ただ、バッハの音楽だけが響いてくるという感じです。

 

スタイルとしては、古いのですが、それが古さを感じさせない、なんか矛盾した言い方ですが、十分に感動的です。

 

そう言えば、クレンペラーは、マタイ受難曲やロ短調ミサ曲、管弦楽組曲、そしてブランデンブルク協奏曲など録音していますが、それはそれは今聴いてもスタイルは古いですが、古臭く感じません。

 

それはシューリヒトにも言えて、彼もブランデンブルク協奏曲を録音しているのですが、古臭くありません。

 

なんでだろう?

 

僕はオートバイも好きですが、1962年に発表されたホンダのレーサーCR110、CR72、CR93も

 

※ホンダCR110 今見てもぞくぞくします

 

古さを感じさせるよりも逆新しさを感じさせるくらいで、

 

これはどういう現象なのでしょうか?

 

つまるところ極めつくしているので、演奏スタイルを超越して人々を感動させるのかもしれません。

 

そしてG線上のアリア、もうとろけそうです!

 

敬愛する宇野功芳氏の解説を引用します。

 

“溶けるように開始される「アリア」は、音の中に魂が吸い込まれそうだ。

自然な音楽の流動に、作曲者の心が湧き上がってくる。

「アリア」には実にたくさんのCDが出ているが、僕はフルトヴェングラーがいちばん好きである”

 

 

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フルトヴェングラーのバッハ ブランデンブルク協奏曲第3番&第5番

 

ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)
ブランデンブルグ協奏曲第3番ト長調 BMV1048
ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BMV1050
ウィリヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
ボスコフスキー(Vn)、フルトヴェングラー(P)
録音:1950年8月31日

 

ザルツブルク音楽祭でのライブ録音まさにフルトヴェングラーのバッハという感じで、先の管弦楽組曲に比べてしつこい感じがしてします。

 

でも特筆すべきは、フルトヴェングラー自身がピアノ独奏をしていること。

これがいいんですよ、ここでも宇野功芳氏の解説を引用します。

 

“チェンバロでなければ美しさの出ない部分ももちろん多いが、たとえば弦がテーマを弾く時の左手の強調など、ピアノだから生きる味わいだし、それ以上にカデンツァの名人芸はいかばかりであろう。ものすごくテンポを落とし、神秘的なピアニッシモで探るように開始する冒頭部のすばらしさ!そして音楽が進むにつれて自在にテンポを変え、強弱の幅を広くとり、ついに最も情熱的な盛り上げに達する見事さ。ただただ息をのむばかりであり。。。(後略)”

 

 

なお、このザルツブルク音楽祭のライブ録音は、十分鑑賞に堪ええる音質で、数少ないフルトヴェングラーのバッハとして残されているのは有難い限りです。

 

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まとめ

 

フルトヴェングラーのバッハというとどんな演奏なのか想像できませんでした。

 

やはりバロック音楽という枠にとらわれない、フルトヴェングラー臭のぷんぷんするバッハでした。

 

でもそれがなかなか感動的で、何度繰り返し聴いてしまいました。

 

フルトヴェングラーくらいの巨匠になると、作曲者が意図したレシピからは遠くてもそれはそれで美味しいんですね。

 

むしろ自分のスタイルに持っていた方が、結局人々を感動させることが出来るということなのでしょう。

 

次は、マタイ受難曲を聴いてみます。

 



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