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アンチェルのベートーヴェン第5番 曲の本質に迫る隠れた名盤

アンチェル
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ベートーヴェンの第5番と言えば、

それはそれは名演の名盤ひしめく、名曲中の名曲ですが、

 

さて、クラシック音楽を聴き始めた、または興味を抱き、

まずベートーヴェンの運命とやらを聴きたいのだが、

おすすめのCDを教えてよ、と聞かれたら、

何十種類と聴いてきた僕には、はたっと困ってしまいます。

 

これからクラシック音楽の愛好家が一人でも増えるのは嬉しいですが、

かといっていきなりフルトヴェングラーでもないでしょう。

 

そんな時、アンチェルのベートーヴェンを聴いていて、

これから自信をもって薦めることが出来るな、と思いました。

 

今日は、アンチェルのベートーヴェンの交響曲第5番をご案内します。

 




アンチェルのベートーヴェン交響曲第5番

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)

 

交響曲第5番 ハ短調 「運命」 Op. 67
Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67

 

Ⅰ(08:21)Allegro con brio
Ⅱ(10:16)Andante con moto
Ⅲ(05:22)Allegro
Ⅳ(09:10)Allegro
TOTAL(33:09)

 

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 – Czech Philharmonic Orchestra
カレル・アンチェル – Karel Ancerl (指揮)
録音: 9 February 1953, The Dvorak Hall of Rudolfinum, Prague, Czech Republic

 

 

アンチェル(指揮)、チェコ・フィル、パーレニーチェク(P)、D.オイストラフ(Vn)/1.交響曲第5番ハ短調「運命」、2.ピアノ協奏曲第4番ト長調、3.ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番ヘ長調Op.50

 

 

録音年が、53年と古いですが、音質はとても良いです。

むしろ聴いていて、えっ!そんなに古い録音?と感じるくらいです。

 

演奏は、端正にして、細部まで描ききった名演です。

 

全く正攻法の演奏で、かといって退屈とか、つまらないなどいうはない、
さらっと聴きながせる演奏ではないのです。

 

なんだろう、心がこもっている、魂がこもっている、

ひとつひとつの音を大切にすべての奏者が、

演奏に魂を込めているという表現がいいと思います。

 

だから、聴いていて、ああ、なんて言い曲なんだろうと心から感じさせてくれる演奏です。

 

 

 

アンチェルのベートーヴェン交響曲第5番の名演の秘密

 

アンチェルとチェコフィルのエピソードを紹介します。

 

1959年(昭和34年)9月に日本を襲った伊勢湾台風では、死者5000人という
未曾有の被害を東海地方にもたらしました。

 

アンチェルとチェコフィルは、その年1959年10月から11月に掛けて来日しましたが、
その伊勢湾台風の悲報を聞き、心を痛めた彼とチェコ・フィルが、
義援金として100万円(今なら1000万円以上?)を供出したという記録が残っています。

 

共産圏の団体から西側にお金が動くというのも今や信じられない話ですが、
アンチェルのヒューマニストぶりをよく伝える話とも言えるのではないでしょうか。

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アンチェル自身、第二次大戦でナチスのより、家族を失うという悲劇にあっているし、
大戦から15年しか経っていなので、チェコフィルの中にも大戦を辛い経験をしたメンバーが多かったのかもしれません。他人ごととは思えなかったのでしょう。

 

そのアンチェルとチェコフィルの演奏には、何かそんな演奏家たちの思いが詰まっているのかも知れません。

 

だから、どの演奏を聴いても、何か心をぐっと捕まれるのかもしれません。

 



アンチェルのベートーヴェン交響曲第5番の名演の実力

 

1959年のアンチェルとチェコフィルの来日公演と同時期に、

カラヤン指揮するウィーンフィルも来日していました。

 

当時2歳の僕は、当然聴くことは出来ませんが、アンチェルとチェコフィルは、

ウィーンフィルと同等か、むしろ上回る演奏をして、

日本の聴衆を圧倒したと言いますから、

 

アンチェルが就任10年目のチェコフィルの実力は、

世界のトップクラスだったことを思わせます。

 

※南ボヘミア地方

 

 

まとめ

 

アンチェルの生まれた場所とグスタフ・マーラーの生まれた場所が、
地図で見ると非常に近いことが分かります。

 

共に南ボヘミア地方の出身で、ユダヤ系。

 

アンチェルの指揮するマーラーには、同郷であるが故の何かを感じます。

 

アンチェルの演奏は、なにか特別なことをしているわけではありません。
でも、なぜかとても引き込まれてしまいます。

 

なぜかよく分かりませんが、その秘密を知りたくて僕は、

今日もアンチェルを聴いています。

 

 

アンチェルの経歴

チェコの名指揮者、カレル・アンチェル[1908-1973]は、プラハ音楽院でアロイス・ハーバ(微分音で有名)に作曲を、ヴァーツラフ・ターリヒに指揮を師事。ハーバが書いたオペラ『母』初演の際に指揮を担当したヘルマン・シェルヘンのアシスタントを務めた事が契機となり、この鬼才指揮者からドイツでさらなる指導を受けます。

 

指揮者としてのデビューは1930年、ミュンヘンの現代音楽際でくだんのハーバのオペラ『母』を指揮したときで、1931年にはプラハ歌劇場の指揮者となり、1933年にはプラハ交響楽団の音楽監督に就任します。しかし、1939年にチェコがナチス・ドイツの支配下に入ると、開放劇場でファシズム批判作品を上演していたため解雇。

 

ユダヤ系だったために、家族全員が強制収容所に移送され、一般人だった家族はアウシュヴィッツ収容所で虐殺、音楽家だったアンチェルのみ最終的にテレジン収容所に送られたため、辛うじて生還することとなります。

 

戦後のアンチェルは、オペラ指揮者を皮切りにキャリアを積み、1950年にはチェコ・フィルの音楽監督に就任して、戦争で荒廃した同オケを世界第一級にまで建て直し、以後、20年近くに及ぶチェコ・フィルの黄金時代を築くことになります。

 

一連のスプラフォン・レーベルへのレコーディングはこの頃におこなわれており、高水準な内容を持つものが多く、政変による辞任劇さえなければ、そうした黄金時代がさらに続いていたのではないかと思うと残念でなりません(もっとも、亡命先のカナダで過ごした晩年の数年間は、重い糖尿病と肝臓疾患との戦いだったとも言います…)。

 

発売元より

 



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