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クレンペラー ベートーヴェン交響曲第5番 ’34年 ロス・フィルとの狂気

クレンペラー
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こんにちは、
ともやんです。

僕の敬愛する音楽評論家に宇野功芳さんがいます。

中学生時代から宇野さんの評論に接し、レコードを買うときは、宇野さんの評論を参考にしてよく購入したものです。

なんと言っても当時、中学生、高校生の僕にとっては、LP2,500円から3,000円は非常に高価なものでした。

だから選びに選んで、何度も悩んで購入したものです。

そして、僕はいつか宇野さんのようなクラシック音楽の評論家になれたらいいなぁ、と漠然に思っていました。

時は流れ、あれから50年近く経ちました。

宇野さんは、2016年に他界されましたが、僕のあの頃の漠然として夢は、ささやかながらインターネットの普及で、

ブログという発信手段ができたことで、勝手に自分の意見を発信できる場が出来て、このブログを続けています。

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クレンペラーの名盤 全名演の名盤をレビューしたい

宇野功芳氏の著書に

フルトヴェングラーの全名演名盤 (講談社プラスアルファ文庫)という

力作があります。

執筆依頼から5年間もの年月を重ね、平林直哉氏の強力なサポートもあり完成した本です。

宇野氏は仕事としてまとめられたのですが、僕は、クレンペラーに関して同じようにまとめたいと考えています。

さて、クレンペラーの録音がどれくらいあるのでしょうか?

クレンペラーとの対話 ピーターヘイワース編

巻末にディスコグラフィーとしてまとめられているのでありがたいので、まずはこれを順に聴いていこうと思っています。

古いものは1920年代のSP録音(78回転)時代のものからあります。

あとは僕が入手できるかどうかもあるので、この本のディスコグラフィーを参考に持っているCD、LPから順に聴いていこうと考えています。

65歳まで(あと4年)には、まとめたいですね。

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クレンペラーの名盤 1934年ロスアンジェルス・フィル

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第5番 ハ短調 「運命」 Op. 67
Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67

1.(07:26) I. Allegro con brio
2.(09:40) II. Andante con moto
3.(05:01) III. Allegro –
4.(09:55) IV. Allegro
total(32:02)

ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団 – Los Angeles Philharmonic Orchestra
オットー・クレンペラー – Otto Klemperer (指揮)
録音: 1 January 1934, Civic Auditorium, Pasadena, CA

Beethoven: Complete Symphonies No.1-No.9 (1934-58) / Otto Klemperer(cond), ACO, LAPO, NDR SO Hamburg, etc

今までありそうでなかったクレンペラー”ライヴ”のベートーヴェン全集です。「運命」は34年の演奏ですが他は病を乗り越えヨーロッパで尊敬を一身に集めた時期である50年代中盤から後半の名演です。リズム重視でずしりと手ごたえのあるのはいつものことですが、クレンペラーといえども人の子。
聴衆を前に存分に熱しています。
クレンペラーはフィルハーモニア管とも優れたベートーヴェンを遺していますが、ヨーロッパ強豪オケの重厚なサウンドはクレンペラーのヘビーな解釈にぴったりと申せましょう。既出のCDよりも生々しい音で迫るMEMORIES入魂のリマスタリングです。

ありそうでなかった5枚組から1934年1月1日のラジオ放送からの復刻録音を聴きました。
まあ、ひどい音です。

この録音を最初に知ったのが、アリアCD店主・松本大輔氏の

クラシックは死なない!―あなたの知らない新名盤で、音は最悪、演奏は異常というコピーを見て、聴くしかないなと覚悟を決めて聴きました。

いや、音はひどいし、終楽章で男性の声、ラジオ放送だったことを考えると混線していたのか、

と思われるような音声まで入っていました。

でも、演奏は凄いです。

この当時まで40代だったクレンペラーの演奏を知るというドキュメンタリーとして最高の資料だと思います。

クレンペラーの名盤 ロサンジェルス・フィル時代

録音を聴いていて、あれっ!?と思うのは、ベートーヴェンの第5交響曲の第一楽章が終わると拍手が起こっています。

聞くところによると、当時のロサンジェルスは、まだクラシック音楽をフルオーケストラで聴くということが浸透しておらず、聴衆も慣れていなかったようです。

本場ドイツでキャリアを積んできたクレンペラーにとって、ナチスに追われ亡命してきたとはいえ、クラシック音楽に後進的だったロサンジェルスでの活動は、じれったくもあり、逆にやりがいもあったのかもしれません。

記録によると、当時のクレンペラーはまだ十分とはいえなかったロサンジェルスのクラシック音楽の環境を少しでも向上させるべく、

ラジオで解説をしたり、ハリウッドボウルで演奏したり、出資者たちに向けて演説をしたりと非常に熱心に活動していたということです。

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まとめ

クレンペラーは、1933年にロサンジェルス・フィルの音楽監督に就任し、オーケストラの技術向上と当地へのクラシック音楽普及に努めましたが、1939年に脳腫瘍が見つかりました。

9月にボストンで専門医の手術を受け、幸いもの腫瘍の摘出に成功しました。

12月にはベッドから起き上がれるようになったものの髄膜炎もあって右半身に麻痺が残る状態で、

さらに手術の影響で長期の「躁状態」となり、不適切な発言と、モラル上、問題の多い行動によるトラブルも多発。

ロサンジェルス・フィルを解雇されるなど危機に追い込まれることになります。

ここからまたクレンペラーの苦難の歴史が始まるのです。




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