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オーストリア・ツアー ウィーン楽友協会 黄金の間

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こんにちは、
ともやんです。

オーストリア・ツアー3日目
5月30日(木)ウィーン本番
本番当日は、午前8時に専用車がホテルに迎えに来た。

僕と同室の博士は、本番衣装に着替え、楽譜とパスポートと飲料水を持って乗車。
本番会場の楽友協会・黄金の間は撮影禁止。

もし撮っているのが見つかれば罰金3,000ユーロだそうだ(日本円約50万円)。だからスマホは、ホテルのセーフティーボックスに保管。
行く前に博士とお互いの写真を撮り合う。

まず9時から11時までゲネプロ。
全曲を通しで練習。楽友協会の黄金の間は、ウィーン・フィルの本拠地。写真や映像でよく観るが、実際に見るとややくすんで見える。
それだけに歴史を感じさせるのだが、もしかして照明の関係かもしれない。

前日練習は、午後7時から9時半まで、同じ楽友協会のガラスの間で行われた。
ソリストもやってきて、オーケストラと合唱団の間で歌う。
合唱団は、客席から見て、右からアルト、ベース、テノール、ソプラノ。

僕はバスの最前列で左端なので、ほぼ中央。
ソリストのテノール歌手の真後ろ。ソリストより一段高い段に立つが、テノール歌手は190cm近い巨漢で、指揮者の横島氏が見辛い。メゾソプラノがまだ若い歌手だが、朗々と深みを感じる声量で圧巻だった。

ゲネプロ後、1時間弱の待機で、本番のステージへ。
僕が、合唱団バス、アルトの先頭で入場。逆方向からテノール、ソプラノが入場。
観客席を見ると、今まで見たことがない風景に心が震えた。
客席を埋め尽くす金髪、銀髪の人、人、人。まるで外国映画のワンシーンのようだ。

僕はこの感動を噛み締めながらソリストと指揮者が入ってくるのを待った。
やがてソリスト4名と指揮者の横島氏が入場し、横島氏が指揮台から客席に向き直ったところで、オーケストラが全員立ちあがる。
盛大な拍手がなる。

指揮者が、オケに向き直ると拍手が止む。
横島氏は数秒間気持ちを整えるようにしてからおもむろに指揮棒を振る。
ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの第1曲「キリエ」の荘厳な前奏が始まった。
僕は魂が震えるのを感じながら「キリエ」のパートを歌い出した。
多分声が少し震えていたと思う。


写真1:楽友協会の夜影

写真2:前日練習の風景。黄緑色のTシャツが指揮者の横島勝人氏

小澤征爾 ニューイヤーコンサート2002

今年2024年2月6日に小澤征爾さんが、22年前の2002年1月1日に日本人で初めてニューイヤーコンサートの指揮台に上がりました。

会場は、もちろんウィーン楽友協会の大ホール。つまり今回僕が立った黄金の間だったのです。
感動せずにはいられないです。

ニューイヤー・コンサート2002 小澤征爾 、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2024年2月6日に惜しまれつつ亡くなった世界的指揮者、小澤征爾(1935~2024)の最高のヒット盤がウィーン・フィルと共演した「ニューイヤー・コンサート」でした。

2002年1月1日、日本人指揮者として初めてニューイヤー・コンサートの指揮台に立った記念すべきライヴで、その模様は世界に生中継され、日本ではクラシックを超えた大きな話題を呼びました。

CDは世界で100万枚以上(日本だけで80万枚以上)、映像も10万枚以上という、クラシック作品として異例のセールスを記録しました。選曲も《こうもり》序曲、ワルツ《ウィーン気質》、《芸術家の生活》、《美しく青きドナウ》、ポルカ・マズルカ《とんぼ》、《常動曲》、《ラデツキー行進曲》という有名曲が押さえられたほか、ヨーゼフ・ヘルメスベルガー作曲の《悪魔の踊り》という珍しい作品(しかも魅力的な作品、演奏です)も含み、破格のセールスが証明する通り、誰でも楽しめる1枚となっています。



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コメント

  1. ドラコ より:

    学友協会の画像外出演した方しか書けないリポート、楽しませていただいています。ニューイヤーコンサート、ボスコフスキー、カルロスクライバーの4トラックテープ、CD、LPを時折聴きます。小澤のは聞いたことがありますがラデッキー行進曲があまりに前者と違うので?でした。ラデッキーではフェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団のカセットテープを持っていて、途中のフレーズが知ったものと違うのに驚きます。最近通常の演奏スコアがナチスドイツ時代に改変?されたものとの指摘があるようです。お知りでしたらお教えください。

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