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ブッシュ兄弟 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 1942

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こんにちは、
ともやんです。

今日は、自らの信念に従い、ナチス政権下のドイツを去り、北欧、イギリスなどで活動し、1951年9月で61歳亡くなったフリッツ・ブッシュの誕生日です。

1890年3月13日ドイツ西部ジーゲンの生まれ。
なお二人の弟も著名な音楽家でルドルフ・ブッシュ(1891-1952)、ヘルマン・ブッシュ(1897-1975)はそれぞれヴァイオリニスト、チェリストとして活躍しました。
特にルドルフは、ブッシュ弦楽四重奏団の創設者としても有名です。

今日は、兄フリッツと弟ルドルフの共演によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴きました。

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国家権力と芸術家

国家権力を擁護する芸術家や文化人は信用できない。それが特に軍事侵攻をする政権なら尚更で、ナチスドイツと繋がりがあったオランダの大指揮者ウィレム・メンゲルブルクは、戦犯として淋しい余生を送り、近年では世界的指揮者としてミュンヘン・フィルの首席指揮者を務めていたゲルギエフが、プーチン政権を支持していたことからウクライナ侵攻後に解任され、事実上ロシア国外での活動ができなくなった。

それは当然で、政治と音楽は別物という考えもあるが、軍事政権を支持する音楽家の演奏は聴きたくないし、聴くこと自体が間接的にその政権を支持しているように感じ、大体において寛容的な自分にとっても無理なことです。

そんな中、フリッツ・ブッシュは、ユダヤ系でなかったもののナチスの活動に不信感を持ち、ナチスが政権を取った1933年に、ドイツを去り活動の場を北欧やイギリスに移したのでした。

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フリッツ・ブッシュの思い出

フリッツ・ブッシュは、僕にとって生涯忘れることが出来ない名前です。
というのも中1の時初めて買ったレコードが、フリッツ・ブッシュ指揮ウィーン交響楽団によるハイドンの交響曲第100番「軍隊」だったのです。
ただLPレコードを買うお金もなかったので、EP盤と言われる直径17センチの小さなレコードでした。
なんでハイドンの交響曲だったのか、全く憶えていませんが、個人的には賢明な選択だったと思います。

ただ、その後いろんな指揮者のLPやCDを購入しましたが、フリッツ・ブッシュの演奏に出会うことがありませんでした。初めて買ったEP盤もその後紛失してしまい、しかもフリッツ・ブッシュの録音自体も市場から姿が見受けられなくなりました。

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そんな中、近年サブスクの台頭で聴くことができるようになり、レコード会社もリマスターによる復刻盤を出すようになり、再びフリッツ・ブッシュの録音が聴くことができるようになりました。

今回聴いた復刻盤は、80年前の録音ながら安定した音質で、フリッツ・ブッシュの折り目正しい端正な指揮とルドルフ・ブッシュの質実剛健なヴァイオリンが聴ける名盤です。

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アドルフ・ブッシュ&フリッツ・ブッシュ ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61
Violin Concerto in D Major, Op. 61

1.(21:55) I. Allegro ma non troppo
2.(09:24) II. Larghetto
3.(09:06) III. Rondo: Allegro
total(40:25)

アドルフ・ブッシュ – Adolf Busch (ヴァイオリン)
ニューヨーク・フィルハーモニック – New York Philharmonic Orchestra
フリッツ・ブッシュ – Fritz Busch (指揮)
録音: 9 February 1942, Live Recording, New York

ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲 作品61 (カデンツァ: アドルフ・ブッシュ)

ブッシュの録音は、同時代の名指揮者たちに比べて必ずしも多くない。録音に信頼を寄せていなかったのか、自らの録音を商業ベースに乗せることで名声を得ることに無関心だったのか。バイロイトやニューヨーク・フィルでトスカニーニの後任で就くことを断ったあたりに、名声のためでなく、自分の音楽をやり抜くこを選ぶ姿勢が窺えるのだが、その断固として姿勢はそのまま彼の演奏における堅実さ、個性的であろうとすることのない正統さ、情熱的な意志の強さとして聴くことができる。世界の指揮者名盤866より。



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