フリッツ・ブッシュ(1890-1951)は、ドイツの名指揮者で、音楽家一家でもあり、ブッシュ弦楽四重奏団のバイオリンのアドルフ・ブッシュとチェロのヘルマン・ブッシュは実弟。
僕とフリッツ・ブッシュの出会い(もちろんレコードで)は、今から50年近く前の中学生の時。僕が初めて購入したクラシックのレコード(17センチ盤)が、フリッツ・ブッシュ指揮ウィーン交響楽団のヨゼーフ・ハイドンの交響曲第100番「軍隊」だったのです。
このレコードはその後どこに行ったか、どうなったかさっぱりわからないのですが、僕のコレクター人生の始まりの1枚だったことは確かです。
フリッツ・ブッシュ名演の復刻
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
交響曲第2番ニ長調作品73“合唱”
Ⅰ(13:58)Allegro non troppo
Ⅱ(09:00)Adagio non troppo
Ⅲ(04:56)Allegretto grazioso
Ⅳ(08:13)Allegro con spirito
録音1947年10月20日,21日 コペンハーゲン
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
(12:59)序曲レオノーレ第3番
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
(04:41)6つのドイツ舞曲第1番、5番、6番
録音1948年10月 コペンハーゲン
フリッツ・ブッシュ指揮デンマーク国立放送交響楽団
僕が会員になっているアリアCDレーベルから上記の演奏が復刻されたのです。
おお、フリッツ・ブッシュ!再開できる喜びと共に注文。
僕が初めて手にしたレコードが、フリッツ・ブッシュ指揮のハイドンの「軍隊」だったのは、全くの偶然。どういういきさつでこのレコードを買ったのか?またなぜハイドンの「軍隊」だったのか、当時の中学生だった僕に聞く以外、全く憶えていない。
フリッツ・ブッシュを幻の巨匠にした録音の少なさ
でも、フリッツ・ブッシュの名前は、忘れることなく、いつも無意識のうちの彼の録音を探していたものです。
でも50年近く手にすることはなかった。なぜ?
録音が極端に少ないのです。
同世代のクレンペラー(1885年生まれ)フルトヴェングラー(1886年生まれ)クナッパーツブッシュ(1888年生まれ)ミュンシュ(1891年生まれ)ベーム(1894年生まれ)に比べると極端に録音が少ない。
しかも1951年にわずか61才という指揮者として働き盛りの年齢で亡くなっている。
51年というと大戦後の混乱から音楽界もようやく落ち着きだしたころではないだろうか。
1933年のドレスデン国立歌劇場の音楽監督時代にナチスの妨害に合って英国に亡命するのだが、この時代ドイツにいてナチスの影響を受けなかった音楽家は誰もいなかっただろう。
もういい加減にしろよと言いたくなるほど、狂った指導者で時代だったのだ。
フリッツ・ブッシュのブラームス
フリッツ・ブッシュは、ドイツを亡命後、イギリスでグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務めながら南米や北欧で演奏活動をしていて、デンマーク国立放送響とは、37年から亡くなるまで指揮者を務めていました。
この頃の録音がもっと残されていればと残念ですが、今回、アリアCDレベールの復刻は、フリッツ・ブッシュの芸術を垣間見ることができる貴重なものです。
ここにアリアCD店主・松本大輔氏の熱いコメントを引用します。
今回のブラームス。
そこまで勢いに任せて歌わせたら破綻する、という、その一歩手前できちんと収拾をつける。
その爽やかなスリル。
オケの団員の力量を完全に把握して、そのぎりぎりのところで勝負させる。だから緊張感もあるし、同時に痛快。
キリキリと引き絞られた弓矢のような美しきロマン。高らかに歌われる晴朗爽快な凱歌。
それは自らの行動と思いに一点の曇りもないからか。
まさに高潔なる快男児。
僕は、序曲レオノーレ第3番の演奏も大好きで、上記の松本氏のコメントがより明快に感じる名演です。
まとめ
過去の指揮者を知るには録音を聴くしかない。
でも、その録音自体が残されていないと、いくら名前が残っていてもどんな指揮者だったか知る由もない。
もしかして、ナチスの妨害、迫害にあって、才能がありながら歴史の中に埋もれてしまった音楽家は数多くいるんではないだろうか。
そんな観点からもナチスの思想に賛同することは絶対に許してはいけない。
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