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ミトロプーロス マーラー 交響曲第3番 1960

マーラー
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こんにちは、
ともやんです。

1896年3月1日、ギリシャのアテネ生まれ。

若くしてブゾーニの教えを受け、ピアニスト、指揮者として活動を開始しました。

特に1930年のベルリンで、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を弾き振りして、一夜にして名声を世界に轟かせました。

1949年にストコフスキーと共同でニューヨーク・フィルの指揮者陣となり50年からは単独で音楽監督に就任。

58年にはバーンスタインにその地位を譲り、以降はフリーになりました。

しかし、1960年11月2日にミラノのスカラ座で、マーラーの交響曲第3番のリハーサル中に心臓発作で急死しました。

まだ64歳でした。
亡くなる2日前の1960年10月31日の録音が残されています。

これを聴いて改めてご冥福をお祈りします。

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ミトロプーロス 耳の化物

ミトロプーロスの耳の良さは「耳の化物」と特にニューヨーク時代、楽員から恐れられていました。
例えば、第2ヴァイオリンの最後のプルトでミスを犯しても、直ちにそれを指摘してみせたそうです。

ミトロプーロスはその持前の耳の良さを武器に複雑な現代音楽も多く手掛けました。
例えば、ベルクの『ヴォツェック』の最初のレコードの指揮は彼だったし、ニューヨーク・フィル時代には、スタンダードな名曲のほか、多くの20世紀音楽を勇敢に録音しました。

敬虔な宗教家だったそうで、生涯独身を通し、まさに音楽に殉じた人生と言えなくもないです。

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ミトロプーロス マーラー 交響曲第3番 1960

グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第3番 ニ短調
Symphony No. 3 in D Minor

1.(34:24) I. Kraftig – Entschieden
2.(09:11) II. Tempo di menuetto. Sehr massig
3.(15:38) III. Comodo. Scherzando. Ohne Hast
4.(09:23) IV. Sehr langsam. Misterioso
5.(05:10) V. Lustig im Tempo und keck im Ausdruck
6.(20:47) VI. Langsam. Ruhevoll. Empfunden
total(94:33)

作詞 : 伝承 – Traditional
作詞 : フリードリヒ・ニーチェ – Friedrich Nietzsche
ルクレティア・ウェスト – Lucretia West (メゾ・ソプラノ)
ケルン大聖堂少年合唱団 – Cologne Cathedral Boys Choir
ケルン放送合唱団女声セクション – Cologne Radio Chorus, female section
ケルン放送交響楽団 – Cologne Radio Symphony Orchestra
ディミトリ・ミトロプーロス – Dimitri Mitropoulos (指揮)

マーラー:交響曲第3番/ドビュッシー:海(ウェスト/ケルン放送響/ミトロプーロス)(1960)

ギリシャ、アテネ生まれの大指揮者ミトロプーロス(1896-1960)は、バーンスタイン出現前のアメリカにおいて「マーラーの伝道者」として名を残す偉大な指揮者です。

彼は1960年11月2日にミラノでマーラーの第3番のリハーサル中にこの世を去りましたが、このケルン放送響との演奏は、逝去する2日前の記録であり、またニューヨーク・フィルとの演奏のようにカットなどが施されることもない「完全な形」としての作品です(以前、他のレーベルからのリリース歴もありますが、こちらはWDR所有のマスター・テープからの復刻です)。

その1週間前に録音されたドビュッシーとともに、ミトロプーロスの真の姿を知るための貴重な演奏記録です。



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コメント

  1. ドラコ より:

    ミトロプーロスを今の若い人は知っているのか、と思います。記述のあったストキフスキーとは違い譜面に忠実なと私は思います。25cmLPコロムビアダイアモンドシリーズZL-171、プロコフィエフ組曲キージェ中尉、コダーイ組曲ハーリ・ヤーノシュを持っていて今も時に聴きます。あまり演奏されませんが夫々聴き応えありまたプーロスの指揮が際立っています。

    個人的にマーラーとブルックナーは全く受け付けず聞くことがありません。

    ミトロプーロスの詳しい来歴ありがとうございました。

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