こんにちは、
ともやんです。
クラウディオ・アバドが、自分で結成したモーツァルト管弦楽団を振ったシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」の2011年のライヴ演奏をご案内します。
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シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」(モーツァルト管/アバド)
クラウディオ・アバドの生き方を見ていると僕は羨ましくなる、というか見事というか、指標にしたい生き方だと思います。
一方、過去の巨匠に比べて、生ぬるいとか甘いとか、中には腰抜けみたいだと非難する人もいるかもしれません。
僕の好きな音楽評論家のU氏やF氏などは、アバドの演奏には取り分け手厳しい。
ベルリンフィルとのベートーヴェンの交響曲全集などは、まるでソーダ水だなどという表現までされていました。
ぼく自身は、その表現についてはその通りだと思うし、一方、ソーダ水でもいいじゃないか、とも思います。
クラウディオ・アバド その生き方に共感
クラウディオ・アバドは、1933年6月イタリア、ミラノ生まれ。
2014年1月に80歳で亡くなりました。
1933年というと僕の父を同い年で、現在も元気な父を見ているともう少し長生きしてほしかったな、と思いました。
僕は、1972年にウィーンフィルが富山市で公演した時に、中学生ながら聴きに行きました。
その時の指揮者が若いアバドでした。
指揮をするたびに長髪がふさふさと揺れていたの思い出します。
アバドの生き方を見ていて、なにが素敵かと思うと、世界最高峰のポストであるベルリンフィルの音楽監督という地位を得ながら、10年足らずで自分から退いたことです。
そしてその後は自分で若い音楽を集めてオーケストラを結成したり、自分の音楽に共感する音楽家を集めて音楽祭で演奏したりと、最後は自分のやりたいことだけをやって生涯を終えたことです。
何か、定年後の生き方のモデルのような印象を受けてしまいます。
ベルリンフィルの音楽監督というと、前任者のカラヤンの時は、フルトヴェングラー、チェリビダッケ、カラヤンそれにベームやヨッフムなども絡むドロドロした権力争いがあったポジションです。
フルトヴェングラーは、亡くなるまでそのポジションでしたし、カラヤンは、最後はオーケストラと対立して、亡くなる数ヵ月前に辞任していますが自分の本意から辞めたわけではありません。
ところが、アバドは、あっさりと辞めているし、後任のラトルもしかりです。
でも僕自身は完全にアバド流の生き方を支持します。
団塊の世代よりも前の終身雇用が当たり前で、定年後は楽しみを見つけるのも大変だった世代。
中には大企業の重役を退職した後、うつ病になり自死した方もいるそうです。
そこまで会社を愛したというか、のめり込んでいたというか、僕らの世代以降はずっと淡白になり、退職するのもあっさりして、あとは自分の好きなことをやりたいというのが本音です。
まあ、現実はそう単純ではありませんが。。。
アバド指揮モーツァルト管弦楽団 シューベルト交響曲「ザ・グレート」
さて、アバドが若い音楽家を集めて自分で結成したモーツァルト管弦楽団との2011年のライブは、聴いていて楽しくなる演奏です。
伸び伸びとシューベルトの曲を愉しみながら、自分の演奏を楽しみながら奏でている様が伝わってきます。
フランツ・シューベルト – Franz Schubert (1797-1828)
交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」 D. 944
Symphony No. 9 in C Major, D. 944, “Great”
1.(16:28) I. Andante – Allegro ma non troppo
2.(15:28) II. Andante con moto
3.(14:43) III. Scherzo: Allegro vivace
4.(16:05) IV. Allegro vivace
total(62:44)
モーツァルト管弦楽団 – Orchestra Mozart
クラウディオ・アバド – Claudio Abbado (指揮)
録音: September 2011, Live recording
シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」(モーツァルト管/アバド)
1959年指揮者デビュー、スカラ座、ロンドン響、シカゴ響、ウィーン国立歌劇場、と数々のポストを歴任し、ヘルベルト・フォン・カラヤンの後継者としてベルリン・フィル芸術監督に就任したクラウディオ・アバド。
2014年1月惜しまれつつ世を去った巨匠アバドが自身で組織したモーツァルト管弦楽団を振った2011年録音の≪ザ・グレイト≫が登場!タワーレコード
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