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V.ペトレンコ 初演の日に聴く ショスタコービッチ 交響曲第7番

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こんにちは、
ともやんです。

今日3月5日は、ショスタコービッチの交響曲第7番が初演された日です。
1942年3月5日に、臨時首都クイビシェフの文化宮殿講堂にてサムイル・サモスード指揮、ボリショイ劇場管弦楽団。

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友人の訃報に接して

上記を書き出してから、友人の訃報が届きました。
友人というのは63歳の女性。連絡をくれたのはその女性の夫君で彼も僕の元同僚で親友。
彼とは仕事で毎日顔を合わせていたし、彼女も含めてよく一緒に遊んだものです。

お互い、結婚してからは家族同士で付き合っていましたが、彼らは家業を継ぐため実家のある福岡へ。

彼女に最後に会ったのは5年ほど前。バレエ教室を開いていたのでその生徒たちと上京した時でした。近況は知りませんでしたが、がんで闘病中だったそうです。

彼らと過ごした若き日々は、もう決して戻ってこない貴重な時間でした。
そんなことを思い返して彼女を偲んでいたら、ブログもメルマガも書けず仕舞い。
だから初演の3月5日にはアップできず、翌日の今日3月6日になってしまいました。

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ショスタコーヴィチ 最高傑作 交響曲第7番

ドミトリー・ショスタコーヴィチは、1906年9月25日レニングラードの生まれ。

レニングラードは、第二次世界大戦で、ナチスドイツの激しい攻撃で甚大な被害と犠牲者を出したが、包囲されたいた1941年7月に作曲に着手し同年12月にこの大作を一気に書き上げました。
ショスタコーヴィチは、自身の出身地が苦境に陥っている中、自ら銃を持ち闘おうとするが、それは許されず銃をペンに持ち替え、「私はこの第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の革命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」とショスタコーヴィチ自身が表明したことから「レニングラード」という通称を持つこの作品となりました。

これが反ナチズム、反ファシストの作品と世界的に注目され、イギリス、特にアメリカでは競って上演されました。

ただ、一時期は「ソ連のプロパガンダ」と評価を落としたらりと戦後も評価の定まらない作品です。

また日本では、シュワルツェネッガーを起用したアリナミンVのテレビCMで流れるチーチンプイプイの原曲として有名?です。

作品の誕生の経緯、その後のレニングラードでの初演などを考えるとそんなCMなどで扱わないでほしいと思う反面、そこからこの作品を知って、侵略、戦争の愚かさを知るというのもあるかもしれません。

この作品に纏わる様々なエピソードは、現在読み始めた『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』亀山郁夫著を読み込んで、改めて記したいと思います

400ページに及ぶぶ厚い本ですがしっかり読み込みたいと思います。

ヴァシリー・ペトレンコの演奏は、いつものように「混迷の背景」を感じさせることのない揺るぎない演奏で、ひたすら人間の強さと戦闘の悲惨さをダイレクトに感じさせてくれる名演。音楽的にも格調高い演奏です。

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V.ペトレンコ ショスタコービッチ 交響曲第7番

ドミートリー・ショスタコーヴィチ – Dmitry Shostakovich (1906-1975)
交響曲第7番 ハ長調 「レニングラード」 Op. 60
Symphony No. 7 in C Major, Op. 60, “Leningrad”

1.(28:32) I. Allegretto
2.(12:58) II. Moderato (poco allegretto)
3.(18:44) III. Adagio
4.(19:01) IV. Allegro non troppo
total(79:15)

ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 – Royal Liverpool Philharmonic Orchestra
ヴァシリー・ペトレンコ – Vasily Petrenko (指揮)
録音: 1-3 June 2012, Liverpool Philharmonic Hall, England, UK

ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」(ロイヤル・リヴァプール・フィル/V. ペトレンコ)

ショスタコーヴィチの交響曲第7番の初演に際して、ソビエト政府はこれを国家的なイベントと捉え、さまざまなプロパガンダを打ち出した。

政府は作家のアレクセイ・ニコラエヴィチ・トルストイを世界初演が行われるクイビシェフに派遣させ、リハーサルの印象をプラウダ紙上で発表し、これを「ファシズムに対するロシア民族の戦いと勝利」と解説した。

初演後、楽譜は「国家機密」扱いとされ、クイビシェフでマイクロフィルムに収められた後、陸路でテヘランに運ばれ、カイロ経由で連合国側国家に運ばれた。 また、3月29日にはモスクワの労働組合会館(英語版)の「円柱の間」で再演された。

このモスクワ初演を成功させたショスタコーヴィチは、その功績からスターリン賞第一席を授与された。



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