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窓ぎわのトットちゃん ヨゼフ・ローゼンストック

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こんにちは、
ともやんです。

昨日映画「窓ぎわのトットちゃん」観てきました。舞台は昭和15年から20年の自由が丘。僕は黒柳さんにはあまり関心がなくてその経歴は詳しくは知らなかったのですが、映画で彼女の父が新交響楽団(N響の前身)のコンマスだったことを知りました。

トットちゃんの住まいもオケの練習場の近くの目黒の北千束で、友だちと二人で父親の練習を見に行くシーンがあります。

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ヨゼフ・ローゼンストックと黒柳守綱

そこで指揮をしていたのがヨゼフ・ローゼンストック(1895-1985)。
彼の出身はポーランド。
しかもユダヤ系でした。

日本がドイツと同盟を結んだという新聞記事を読んで、楽員たちは好意的なのに対し、ローゼンストックは、忌々しそうにその記事を見ながら「もう私はドイツ人ではない!」を吐き捨てるシーンが印象に残っています。

トットちゃんの友だちが、父親の練習をのぞきに行くと、指揮者のローゼンストックが、オケを厳しく練習していました。
しかし、なかなか思うようにいかず、癇癪を起して練習を中断してしまうのです。そんな時黒柳さんの父親が、ローゼンストックをなだめるシーンもありました。

黒柳守綱氏(1908-1983)は、映画の中では、まだ30代前半。洋風の素敵な家に住み、若くて美しい妻朝(ちょう)(1910-2006)と長女徹子(トットちゃん)と犬のロッキー(シェパードのよう)と楽しく生活していました。
しかし、戦況の悪化とともに、戦歌を演奏しろとか依頼され、苦渋するシーンも出てきます。映画では描かれていませんが、その後昭和19年に満州に出征し、シベリアに抑留され幸いにも昭和24年に帰還。

そして東京交響楽団のコンマスを務めたりして音楽活動を続けています。また弦楽四重奏団でも活動していたそうで、技術も備わっていた人で、映画でも温厚な紳士として描かれていました。ちなみに吹替は小栗旬さんでした。

この当時の音楽家は、大なり小なり体制からの圧力と自分の奏でたい音楽、そして自分の生活を考え苦悶しながら生きていたのではないかと思わずにはいられません。

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昭和15年から20年までの自由が丘

舞台が、昭和15年から20年までの自由が丘。
映画は、普通の小学校では、枠からはみ出して面倒見切れないと追い出されたトットちゃん(黒柳徹子さん)が、自由が丘にあるトモエ学園に入学するところからお話しが始まります。

トモエ学園跡は、その後ピーコックストア自由が丘店となり、最近はJIYUGAOKA de aoneというお洒落なショッピングモールになっています。

トットさんは、北千束から自由が丘まで毎日大井町線で通っていたのです。
当時の自由が丘周辺の田園風景が描かれていますが、その後戦況の悪化に伴い、どんどんトットちゃんの周辺が変わっていく。声高に戦争を非難しない分だけ、余計反戦への思いが強くなります。
自由が丘駅の当時の改札や商店街、駅前のロータリーなども出てきて郷愁を誘います。

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ヨゼフ・ローゼンストック 名盤 ボロディン&チャイコフスキー

ローゼンストックの録音は、悲しいかな多くなく、現在ナクソス・ミュージック・ライブラリーや、Amazon Musicなどのサブスク音楽配信で聴くことが出来ます。

CDでは、現時点でN響との共演したものは、元々録音自体が少ないのか、入手出来るものは、タワーレコード・オンラインショップでは以下の1点です。

ただ1977年と比較的新しくステレオ録音なのは嬉しいですね。
若い頃は、トスカニーニ風の毅然として演奏だったようですが、録音当時すでに80歳を過ぎて、巨匠風の悠然たる演奏とのことです。

ボロディン: 交響曲第2番; チャイコフスキー: 交響曲第6番 Op.74 「悲愴」; シューベルト: ロザムンデ序曲, 他 ジョゼフ・ローゼンストック ウィルヘルム・ロイブナー NHK交響楽団

N響を育てたふたりの巨匠、ベテランの至芸を披露
N響を育てた大恩人ローゼンストックとロイブナー。ともに歴史上の人のような印象を受けますが、前者は1977年にも矍鑠たる演奏を披露していました。

曲はボロディンとチャイコフスキーの交響曲。まさに巨匠風の大きな演奏を聴かせてくれます。ロイブナーは得意のシューベルト。優しい人柄を反映するような、典雅極まりない演奏を聴かせてくれます。



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