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カラヤン ベルリンフィルとの11年ぶりの共演 53年の英雄が凄い!

カラヤン
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まさに尋常ならざる演奏です。

昨日に引き続き、カラヤンの歴史的な録音を取り上げます。

 

1953年9月8日、ヘルベルト・ファン・カラヤンは45歳。

 

ベルリンフィルの首席指揮者を務めるフルトヴェングラーが健在で、

彼に嫌われているカラヤンは、ベルリンフィルを振らせてはもらえない。

 

そんなカラヤンにチャンスが巡ってきました。

ベルリン芸術週間のなかのひとつの催し物で定期公演ではありませんでした。

しかしそれでもカラヤンは、構わなかった。

 

ベルリンフィルを振ることが最重要課題でした。

何と言っても11年ぶりなのです。

 

戦前の42年12月29日にベルリンフィルを振って以来、11年ぶりの共演です。

 

しかも戦前も僅か6回のステージのみ。

 

一方、ベルリンフィルの方も、カラヤンの実力を知りたがっていました。
本当にフルトヴェングラーが怖れるような才能の持ち主なのか!?

 



カラヤン ベルリンフィルに戦後初登場 ベートーヴェンの英雄

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
Ludwig van Beethoven (1770-1827)

 

交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」 Op. 55
Symphony No. 3 in E-Flat Major, Op. 55, “Eroica”

 

(00:21)Applause(拍手)
Ⅰ(14:38)Allegro con brio
Ⅱ(17:37)Marcia funebre: Adagio assai
Ⅲ(05:52)Scherzo: Allegro vivace
Ⅳ(12:29)Finale: Allegro molto
(02:26)Applause(拍手)

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Herbert von Karajan (指揮)
録音: 08 September 1953, Titania-Palast, Berlin

 

ベートーヴェン: 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」

※CDは2枚組で、もう1枚には57年録音のベートーヴェンの第九が収録されています。

 

カラヤンのベートーヴェンの英雄は、全部で14種類も残っているそうです。
残念ながら僕はそれらすべては聴いていません。

 

しかし、50年代のフィルハーモニア管との全集、60年代、70年代、そして80年代の全集に聴く“英雄”とこのライブ録音は明らかに違います。

 

カラヤンは、丁寧で美しい音楽を作る人です。

だから、ベートーヴェンの“英雄”の持つ、革新的で粗野でワイルドなイメージとは、

カラヤンの流麗でエレガントな演奏は、ちょっと違うかなと思うことがあります。

 

でも、この53年の演奏は違います。

 

野性的で、挑戦的な演奏で、聴いていて圧倒されっぱなしです。

 

ちなみにこの演奏の新聞評を次のようなものでした。

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思わせぶりなところや尊大さはみじんもなく、肥大化した自尊心や英雄崇拝は排除されていた。透徹した冷静な演奏を土台に、美意識と構築力を結合させていた。

 

 

 

 

カラヤンとベルリンフィルとチェリビダッケの存在

 

1953年9月8日、カラヤンは11年ぶりにベルリンフィルを指揮したといっても
38年4月8日の初共演から数えても、ようやく7回目でした。

 

一方、敗戦直後からベルリンフィルを支えてきたチェリビダッケは、

その時点で403回もベルリンフィルを指揮していました。

 

指揮した回数で、次期首席指揮者を決めるとなるとカラヤンは、

チェリビダッケに全くかないません。

 

しかも、当時のベルリン市民の間では、

カラヤンがいくら11年ぶりに戦後初めてベルリンフィルを指揮したといっても

特別な大事件とはならなかったようです。

 

実際にCDに収録されている拍手も特に熱狂的ではありません。

 

つまりベルリンで日常的に行われているコンサートのひとつでしかなく、

コンサート自体は、成功でも失敗でもありませんでした。

 



カラヤンとベルリンフィル 戦後初の共演の最大の収穫

 

カラヤンのベルリンフィルとの戦後初でしかも11年ぶりの共演の最大の収穫は、
ベルリンフィルのインテンダント(運営責任者)のヴェスターマンと直接会い、

話したことにあります。

 

この時、ヴェスターマンは、フルトヴェングラーへの忠誠は変わらないとしながらも、
55年2月に予定されているアメリカツアーの指揮について、

 

「フルトヴェングラーに万一のことがあった場合、アメリカ・ツアーの指揮を引き受けてくれますか」
とカラヤンに打診しました。

 

この時のヴェスターマンは、

単にアメリカ・ツアーの指揮を依頼しただけのつもりでした。

 

カラヤンは、
「もちろんです。このオーケストラと仕事をすることほど、私にとって嬉しいことはありません。」と答えました。

 

しかし、抜け目ないカラヤンのこと、

この時、1年後の54年9月23日と11月21日と22日に指揮する契約を取り交わしました。

 

まさにそれが運命を決めたことになったわけです。

 

 

まとめ

 

カラヤンという人は、よく有能なビジネスマンに例えられることがあります。
カラヤンは、フルトヴェングラーの後任として、

すんなりベルリンフィルの首席指揮者になったわけではありません。

 

また、そこまでの道のりも紆余曲折がありました。

 

ただ、カラヤンの凄いところは、それに怯んだり、腐ったりすることなく、

真っすぐ目標に向かおうとしたことだと思います。

 

だから、ちょっとしたチャンスも逃さなかった。

 

カラヤンのこの50年代から60年代の演奏になにかとてつもない魅力を感じるのは、
人生を自分の力で切り開くんだ、という迫力を感じるからかもしれません。

 

生誕110年、まだまだカラヤンの名演は聴き足りないですね。

 




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