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トスカニーニの第九 39年、自由と民主主義のための闘争とカナリア

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アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)。

1937年12月25日のクリスマスから

トスカニーニ指揮のNBC交響楽団の演奏会が始まりました。

 

実は、当時70歳のトスカニーニは、引退をするつもりだったのです。

 

しかし、音楽評論家でNBC音楽顧問だった

サミュエル・チョツィノフの粘り強い説得によってこの年から復帰しました。

 

もしかしたらフルトヴェングラーへの敵愾心があったのかもしれません。

 

戦争がはじまるとトスカニーニは、

頻繁にチャリティーコンサートを開催しました。

 

自由と民主主義のための闘争だったのです。

今日は、1939年12月2日の第九を取り上げます。

 




トスカニーニ ニューヨークフィルを辞めて引退する予定が…

1936年の春、

トスカニーニは、ニューヨークフィルハーモニックを辞めました。

 

1867年生まれのトスカニーニは、70歳になろうとしていました。

もう引退するつもりでいました。

 

この最後のシーズンの1936年3月5日、6日、8日には、

第九を演奏しました。8日の演奏は放送もされ録音も残っているそうです。

 

そして翌4月29日がニューヨークフィルとの最後の演奏会となり、

トスカニーニは、引退する予定でした。

 

しかし、トスカニーニは、引退できませんでした。

 

翌37年に放送局NBCが創立したオーケストラの指揮者として、

ニューヨークに復帰するのです。
その復帰を促したのが、「第九」と「カナリア」でした。



 

 

 

トスカニーニ 復帰を決意させた第九とカナリア

 

NBCは、トスカニーニのために

新たにオーケストラを創設しようと考えていました。

 

その旨をNBCは、トスカニーニに打診しましたが、

もう引退するつもりだったトスカニーニは、断りました。

 

そこで、NBCは、音楽評論家でNBC音楽顧問の

サミュエル・チョツィノフをザルツブルク音楽祭のあと、

イタリアにいたトスカニーニのもとに派遣しました。

 

チョツィノフは、頑固者のトスカニーニを

どう説得するか思い悩んでいました。

 

「ホールにいる数千人の聴衆だけでなく、ラジオの前の数百人に聴かせる」と

説得しようと考えていましたが、

それだけでは弱いように感じていました。

 

そんなチョツィノフは、イタリアに向かう船の中で、

偶然手にした雑誌の中で、面白い記事を見つけました。

 

その記事は、自宅で聴いた、

ラジオから流れるトスカニーニの第九について書かれていました。

 

筆者の自宅ではカナリアを数羽飼っていますが、

トスカニーニの第九が流れると

 

第三楽章まで大人しくしていたカナリアたちが、

第四楽章が始まるなんとカナリアたちがラジオの上に集まり、歌いだすというのです。

チョツィノフは、このカナリアの話を切り札にしようと考えたのです。

 

 

イタリアに着いて、トスカニーニ宅を訪れますが、

案の定、復帰話には乗ってきません。

 

そして2週間が過ぎたある夜、トスカニーニの機嫌が良かったので、

チョツィノフは、話を切り出しました。

 

「マエストロはまだ若い、NBCはマエストロのために新しいオーケストラを創る。

カーネギーホールの数千人のためだけでなく、

ラジオを通して数百万人もの人たちにあなたの音楽を聴いてもらえるのだ。」

 

その夜は、それまで乗ってこなかったトスカニーニの様子が違っていました。

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ここがチャンスとばかり、チョツィノフは、

例のカナリアの記事の切り抜きを取り出しました。

ひったくるようにその切り抜きを読み始めるトスカニーニ。

 

興奮するトスカニーニにチョツィノフは、力説します。

「カナリアが興奮するくらいですから、マエストロの音楽が放送されれば、

人間はもっと感動したり慰められたりします!」

 

数秒の沈黙のあと、トスカニーニは「もちろん、そうだ」と答えました。

こうしてトスカニーニの復帰が決まったのです。

 



トスカニーニの第九 平和と自由と民主主義と

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」 Op. 125
Symphony No. 9 in D Minor, Op. 125, “Choral”
作詞 : フリードリヒ・フォン・シラー – Friedrich von Schiller

 

1.(12:24)I. Allegro ma non troppo, un poco maestoso
2.(12:32)II. Molto vivace
3.(13:00)III. Adagio molto e cantabile – Andante moderato
4.(23:18)IV. Finale: Presto – Allegro assai
total(61:14)

 

ヤルミラ・ノヴォトナー – Jarmila Novotna (ソプラノ)
ケルステン・トルボルイ – Kerstin Thorborg (コントラルト)
ヤン・ピアース – Jan Peerce (テノール)
ニコラ・モスコーナ – Nicola Moscona (バス)
ウェストミンスター合唱団 – Westminster Choir
NBC交響楽団 – NBC Symphony Orchestra
アルトゥーロ・トスカニーニ – Arturo Toscanini (指揮)
録音: 2 December 1939, Carnegie Hall

 

Arturo Toscanini’s 1939 Beethoven Cycle / NBC SO

 

トスカニーニのベートーヴェン・ツィクルスの中でも最も評価の高いものが当1939年の連続演奏会ライヴです。ほぼ毎週のペースで繰り広げられた名演集です。この時代トスカニーニは体力的に充実していた様子で、NBC響を完璧に掌握。自由自在なテンポ変化を見せるかと思えば、インテンポの部分では厳格さ強烈さも際立っております。巨匠も歌ったり、怒鳴ったりとかなり高揚しております。HMVより

 

 

まとめ

トスカニーニは、復帰の翌年1938年2月6日、

イタリア福祉連盟のためのチャリティーコンサートを

カーネギーホールで開催し、第九を指揮しました。

 

 

戦争が始まるとトスカニーニは、より力を入れて、

チャリティーコンサートを開催しました。

 

高潔漢トスカニーニの面目躍如というところです。

戦争中の第九としては、1941年7月24日のブエノスアイレスのコロン劇場に客演したものもあります。
これも名演ですので、改めて取り上げます。

 




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