フルトヴェングラーの魅力 世渡り下手の純粋な芸術家
フルトヴェングラーは、音楽以外の事に関しては、素朴と言うか要領が悪いというか世渡りがとてもうまい人とは思えませんでした。
むしろ世渡り下手と言ってもいいくらいで、結局結果として最後の最後までドイツに留まることになり、よくぞスイスに逃れられたと思います。
もちろんフルトヴェングラーには、「政治と音楽はまったく別ものである」という信念を持っていて、愛するドイツのために祖国に留まったとも言われます。
しかし、人心とは不思議で、そんな世渡り下手で純粋なフルトヴェングラーが、人々に愛され、彼を見ると助けてあげないといけないという気持ちになってしまうんでしょうね。
この辺が、スマートなカラヤンとは違うところだと思います。
フルトヴェングラー ナチスに協力した罪で裁判に
純粋な芸術家としての信念の下、愛する祖国ドイツ、そしてドイツ国民のため、最後までドイツに残ったことがフルトヴェングラーの悲劇となって戦後、彼に精神的苦痛を与えました。
1945年5月7日、ナチス・ドイツは崩壊しましたが、46年にフルトヴェングラーは、ナチスに協力した罪で国民裁判の法廷に立たされたのです。純粋なフルトヴェングラーにとって生涯でもっとも辛い時期だったかもしれません。
しかし、彼を尊敬するメニューインなどの尽力もあり次第にその正しさが立証され、フルトヴェングラーは無罪を宣せられました。
そして再び、自由に演奏活動が出来る身になったのでした。
1947年5月25日、フルトヴェングラー復帰コンサート
フルトヴェングラーの戦後第1回復帰コンサートは、
1947年5月25日にベルリンのテアトル・パラストという映画館で開催されました。
曲目は、「エグモント序曲」「田園」「運命」で、かなり前からチケットは売り切れ、会場に詰め掛けた二千人の聴衆は、狂気のように熱狂し、涙を流してベートーヴェンの音楽にフルトヴェングラーの表現に感動したのでした。
Wilhelm Furtwangler(The Complete RIAS Recordings)
※取り扱い状況に変わる可能性があるので、
タワーレコード(画像)Amazonの両方のリンクを表示しています。
フルトヴェングラーの戦後のベートーヴェン第5”運命”
①1947年05月25日 ベルリンフィル 実況録音
②1947年05月27日 ベルリンフィル 実況録音
③1950年09月25日 ウィーンフィル 実況録音
④1950年10月01日 ウィーンフィル 実況録音
⑤1952年01月10日 ローマ・イタリア放送響 実況録音
⑥1954年02月28日、3月1日 ウィーンフィル スタジオ録音
⑦1954年05月04日 ベルリンフィル 実況録音
⑧1954年05月23日 ベルリンフィル 実況録音
現在の僕の所有しているCDでは、
①②⑤⑥⑦⑧の6種類が聴かれます。
なんと言っても①と②は一連の復帰コンサートの実況録音ですが、
凄まじい演奏です。
もう批評なんてものではなく賛歌そのものだったそうです。
ベルリン最大の新聞テレグラーフ紙はこう書いています。
「フルトヴェングラー、ベルリンに現わる!
待ちに待った音楽上の大事件がとうとうティタニア・パラスト館で行われたのである。われわれは、ワーグナーの言葉を借りて『昔の時代はよみがえった!』と叫びたい。昔のフィルハーモニーの力強い交響的感銘を味わったあの時代が帰って来たのだ。あのたぐいないフルトヴェングラーの暗示力と最高度の表現。不思議にも神秘的と云うより外のない音楽の祝福が、今再び以前通りにくり返される。
そして、フルトヴェングラー自身の言葉を借りて言えば、この演奏の中にこそベートーヴェンの音楽の力強い作用力が発揮され、彼の思想は照らし出されるのである。
(みすず書房刊、クルト・リース著、八木浩、芦津丈夫訳「フルトヴェングラー」より
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