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山田一雄 運命の田園

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こんにちは、
ともやんです。

今年は指揮者山田一雄(1912.10.19-1991.8.13)の生誕110年。昨年が没後30年でした。このメルマガでも何度か伝えたと思いますが、ヤマカズさん(山田一雄の愛称)の実演に接することが出来なかったのが心残りでありません。

しかも独身時代は六本木、新宿、結婚してからは横浜の日吉中心に生活していたので都内のコンサートホールならどこでも行けたので、チャンスは大いにあったわけです。

残念ですが、もう後戻りはできないので出来るだけ録音を聴いてヤマカズさんを偲びたいと思います。

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山田一雄 日本の巨匠

ヤマカズさんこと山田一雄は、20世紀日本の巨匠の一人。戦前から日本における西洋音楽の発展に寄与した人です。
さて、ヤマカズさんの指揮の下、何度もオーケストラ奏者として演奏したことがあるコントラバス奏者溝入敬三氏の著書『こんとらばすのとらの巻 音楽とコントラバスを愛する人のための事典』の中でヤマカズさんについて次のように紹介しています。

“はっきり申し上げて、大変わかりづらい指揮であったし、興奮なさりすぎて、本番中に迷子におなりになることもよくあった。しかし、何がどうなっても観客は大喜びなのだから、これがカリスマのある指揮者なのかと思う。

中略

いずれにしろ、人を惹きつけるチャーミングなかたであった。”
と結んでいます。

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山田一雄 運命の田園

溝入氏は、そんなヤマカズさんのさらなるエピソードも紹介しています。
その日のプログラムは、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」。
通俗的な作品だけにいいかげんな演奏は出来ない。
ヤマカズさんもいつもより以上に気合が入っていました。

ステージマネージャーが、ヤマカズさんの呼吸を読んで「先生、お願いいたします。」と舞台袖の扉を開きます。

先生は「うん、いいでしょう。」とゆっくり指揮台に向って歩きだします。
オーケストラは、コンサートマスターに従って、いっせいに立ち先生に敬意を示します。

先生は、指揮台に上がり、客席を最上階まで見渡し、胸にて当て「うんうん」と気持ちをいれ、オーケストラにふり返りじっと目を閉じ、指揮棒を握りしめています。

暗譜なので譜面台には楽譜はない。

先生は精神を集中して、緊張感を高めていきます。この前から先生の様子から、オケの連中はヤバいかもと感じ始めています。

先生は、ロケットの発射のように指揮棒をぶるぶる振りはじめ、最高点でうぉーとばかりに指揮棒を振り下ろしました。ジャジャジャジャーン!運命はかくドアを叩けりっ!とばかりにホール内に音が響いたかー!と思ったら、田園の穏やかなメロディーが流れたのです。

先生は、なんと曲順を間違えていたのです。
空を切っ指揮棒。

先生は、何事もなかったかのように白髪をかきあげ、指揮棒を脇に挟み、おもむろに眼鏡を拭き出したそうです。オケは当然曲を進めています。
僅か数秒後、先生は軽やかに田園を振り始めたのでした。

僕はこのエピソードを読んで、よりヤマカズさんが大好きになりました。

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山田一雄 最晩年ライヴ集 1989-1991

現在、残念がらヤマカズさんの名演の名盤が、廃盤状態の状況が多くなっています。
最晩年の札幌交響楽団とのベートーヴェン交響曲全集も廃盤状態です。

そんなことからおすすめがこちら。

『山田一雄 最晩年ライヴ集 1989-1991 山田一雄 新星日本交響楽団 新都民合唱団』

残念がら田園は収録されていませんが、運命はリハーサルも含め収録されているのが嬉しいです。

山田一雄 最晩年ライヴ集 1989-1991 山田一雄 新星日本交響楽団 新都民合唱団

1977年に顧問に就任した後、1981年より名誉指揮者の地位にあった新星日本交響楽団(2001年に東京フィルハーモニー交響楽団と合併)との貴重な最晩年にあたる僅か3年間にキャニオン・クラシックスがライヴ収録したこれら盤は、ベートーヴェンの3曲とリハーサル風景が3枚組、残りは1枚として、計4種が1991年10月に発売されました。その後ベートーヴェン以外は一度も再発されることはなく、2000年代に市場から姿を消し、長い間廃盤でしたが、ファンには再発が望まれていた音源です。



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