こんにちは、
ともやんです。
1742年4月13日、アイルランドのダブリンでヘンデルのメサイアが初演されました。
初演は大成功で、ダブリンの聴衆には熱狂を持って迎えられたそうです。
その後、ヘンデルの生前中には何度も再演され、またオーケストラや声楽陣の内容により編曲もいくつもされました。モーツァルトも編曲しています。
現在でもいくつかの版が残されています。
ということで、今日はあまり知られていませんが、北米初のバロック専門オーケストラ、ボストン・バロックを創設したマーティン・パールマン指揮の録音をご案内します。
マーティン・パールマンについて
マーティン・パールマンは、1945年生まれで今年78歳。
米国の指揮者でチェンバロ奏者。
ボストン・バロック(設立当初はバンケット・ムジカーレと称していた)の創設者として知られ、音楽監督としてこの北米初のバロック専門オーケストラ・合唱団を今日まで育ててきました。
モンテヴェルディからベートーヴェンに至る管弦楽曲と合唱曲の指揮で高く評価されており、自らチェンバロを弾きながらのバロック時代の楽器による演奏に加えて、モダン・オーケストラにもしばしば客演しています。
ヘンデルのメサイアについて
僕は、2001年12月24日に川崎市高津区にある洗足学園の前田ホールで、秋山和慶指揮東京交響楽団との共演でヘンデルのメサイアを合唱団の一員として歌いました。
僕は、中学の時に音楽の先生の誘いで合唱クラブに入りました。そのクラブは臨時のもので、富山市の合唱コンクールに参加するためのものでした。まだ若い女性の先生でしたが、クラブには女性しかいなかったので、運動部に男子たちに声掛けして回って、僕もその一人だったのです。
確か上位に入賞して賞を頂きました。
いい思い出です。
しかし、その後10数年間は合唱には縁がありませんでした。高校生、大学生、そして社会人と今考えるといろんな回り道をしていたと思います。
そして社会人になり20代も後半になった頃、中学生の頃夢中になって聴いていたクラシック音楽に戻って来たのです。楽器は出来ないけど、声なら出せる、そうだ合唱だ!と思い、第九の合唱団募集に応募し、確か30歳の12月にサントリーホールと東京文化会館でベートーヴェンの第九を歌いました。
でも合唱の活動はまた途切れます。結婚し、3人の子供に恵まれましたが、しかも会社員としての仕事も忙しく、再び合唱を再会した時は40歳を越えていました。ヘンデルの「メサイア」のメンバー募集を見て高津の合唱団に入ったのです。
そして現在、20年ぶりに別の合唱団で歌うため現在練習中です。
メサイア 初演の日に聴く ボストン・バロック
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル – George Frideric Handel (1685-1759)
オラトリオ「メサイア」 HWV 56
Messiah, HWV 56 (excerpts)
total(75:50)
作詞 : 新約聖書 – Bible – New Testament
カレン・クリフト – Karen Clift (ソプラノ)
キャサリン・ロビン – Catherine Robbin (メゾ・ソプラノ)
ブルース・ファウラー – Bruce Fowler (テノール)
ヴィクター・レッドベター – Victor Ledbetter (バリトン)
ボストン・バロック – Boston Baroque
ボストン・バロック – Boston Baroque
マーティン・パールマン – Martin Pearlman (指揮)
録音: 18-22 May 1992, Campion Center, Weston Center, Massachusetts, USA
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」(ハイライト)(クリフト/ロビン/ファウラー/レッドベター/ボストン・バロック/パールマン)
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルは、1685年2月23日にドイツのハレ生まれ。同い年のヨハン・セバスティアン・バッハに先立つこと約4週間足らず。1959年4月14日にロンドンで死去。享年74歳。
父は宮廷の理髪師にして外科医。ヘンデルが幼少の頃から楽才を表していたが、父はそれには関心を持たず、法律家にしようと思い、音楽の修行を禁じていたそうだ。しかし、父の死後ようやく宿望であった音楽に精進することが出来るようになった。
もし、父親が長生きだったら僕らはヘンデルをそしてメサイアを聴くことが出来なかったかもしれない。
1706年から約3年間イタリアで学び以降の作風に大きな影響を与え、彼の持ち味である旋律的で理解しやすい様式を完成させたようだ。1712年以降ロンドンに渡り、以後生涯そこで過ごし、英国に帰化し、死後はウェストミンスター寺院に葬られた。
同い年のJ.S.バッハが生涯ドイツに留まったのに対し、ヘンデルはより国際的でコスモポリタンだった。J.S.バッハの形式美に対し、ヘンデルの自由で親しみやすい雰囲気は、そんな生き方からも反映されていると思う。
また宗教曲の傑作と言われるJ.S.バッハの「マタイ受難曲」は、100年後にメンデルスゾーンの蘇演によって復活したが、「メサイア」は、ヘンデルの生前から何度も演奏され、その後も途切れることがなかった。テキストが英語ということで英国では特に人気が高い。
合唱の指導をしてくださる先生が、ロンドンでメサイアを公演した時、コンサートホールの清掃のおばさんもメサイアを口ずさみながら仕事をしていたとその浸透ぶりに感動したそうだ。
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