こんにちは、
ともやんです。
先日、僕が所属している合唱団の有志で、僕の入団の歓迎会をしてくれました。
指導の先生も加わり、男性8人で細やかですが、楽しい会でした。
皆さん、僕より年配ですが、合唱されているだけで若いですし、何より、音楽が好き。
だから、懐かしいコンサートやレコードの話に花が開きました。
出席者のメンバーの中に、私に父親より年上の方がいて、僕は70歳だ半ばから後半と思っていましたが、80代半ばということで、驚いたのですが、その方がマーラーの交響曲9番が好きとのこと。
僕は、バルビローリ指揮ベルリンフィルが好きと言ったら、その方はショルティ指揮のシカゴ響がいいという。
そこでお互いのCDを交換することになり、さっそく聴いてみました。
ショルティのマーラー第9番 シカゴ響の圧倒的な響き
グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第9番 ニ長調
Symphony No. 9 in D Major
Ⅰ(30:16)Andante comodo
Ⅱ(18:00)Im Tempo eines gemachlichen Landlers – Etwas tappisch und sehr derb
Ⅲ(12:31)Rondo-Burleske: Allegro assai
Ⅳ(24:47)Adagio – Sehr langsam und noch zuruckhaltend
total(85:34)
シカゴ交響楽団 – Chicago Symphony Orchestra
ゲオルク・ショルティ – Georg Solti (指揮)
僕は、ショルティの録音はあまり持っていません。
多分、LPでシカゴ響とのブラームス交響曲全集とマーラーの交響曲3番程度です。
カラヤン&ベルリンフィルなきあと、ショルティ&シカゴ響は、一番のブランドでしたが、結局あまり聴いてこなかったのは、
僕が、宇野功芳氏、福島章恭氏の書籍を中心に読んでコレクションしてきたからだと思います。
お二人の著書では、ほとんどショルティの録音は、名盤として取り上げられることもなく、たまに取り上げられても高い評価のものはありませんでした。
ある人が、マーラーの交響曲第9番の解説で、ショルティ&シカゴ響の音を聴いていると、鉄人28号や鉄腕アトムの時代の精密ロボットの姿をつい思い浮かべてしまう、と書かれていましたが、僕へ、変に納得したものです。
ショルティのマーラー第9番 デジタル世代とは違う、ノスタルジックな響き
今回、ショルティ指揮シカゴ響でマーラーの9番を聴くにあたり、なかなかいいじゃないか、というのが僕の感想です。
でもそれは、この演奏を聴いて、哲学的な思考が刺激されることではなく、なんだろう、60年代から80年代に感じた、機械文化の機能美と温かさを感じるのです。
僕は、オートバイが好きで、若いころはよく乗ったり、エンジンをいじったりしたのですが、そんな人間の手で作り上げたエンジンの機能美をとても感じます。
これが90年代以降のデジタルな世界になると、なんか手に触って感じるというのもが無くなり、冷たさというよりも虚しさを感じるのと似ているのかもしれません。
そういう意味では、ショルティの演奏には、60年代の子供たちが憧れたロボットの精緻な機能美とギクシャクした愛嬌が同居していると僕は感じ、じつはそこが人気の秘密だったのではとも思います。
ショルティのマーラー第9番 クリアでメリハリの効いた先に
ショルティは、このマーラーの第9番での、クリアでメリハリの効いた演奏でオーケストラを響かせて、透明で明るい屈託のない響きの快感を創り出しています。
この曲に纏わる死への諦観や生への憧れといった哲学的な思考とは程遠い演奏ですが、その多彩な響きの演奏から、見通しの良さが出てきて、かえってこの曲の持つ暗さが暴き出せていると感じます。
まとめ
ショルティの録音は、それはそれはたくさんありますが、僕は先入観からほとんど聴かずにいままで過ごしてきました。
でも、聴かないでも大したことはないと思っていましたが、今回、勧める人もあり、聴いてみて良かったと思います。
やはり、これだけの人でしたので得るものはありますね。
マーラーの交響曲第9番を愛する人は一聴の価値はありますよ。
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