こんにちは、
ともやんです。
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)が、亡くなってから、50年以上経つのに、相変わらず一度も来ることがなかった極東日本で人気があるようです。
これはフルトヴェングラーにも言えますが、もう50年以上(フルトヴェングラーは60年以上)前に、この世からいなくなった指揮者。
しかも日本の土を一度も踏むことをなく、古い録音だけで、知られてきたこの二人の指揮者が、なぜ、いまだに人気があるのでしょうか?
僕のような60才の人間が懐かしがるのはいいですが、まだ若い人たちにも聴かれているようです。
その理由はなんだろう、と考えると、その演奏の特異さだろうと思います。
でもいくらその演奏が特異で独創的だろうと、それが下品だったり、一過性の驚愕性だったりではないので、その特異な演奏が、単に面白いだけではなく、
芸術として昇華しているので、何度聴いても飽きないし、聴くたびに新たな発見を与えてくれるのです。
クナッパーツブッシュの名盤 シューベルトのザ・グレート
フランツ・シューベルト(1797-1828)
交響曲第9番ハ長調「ザ・グレート」
Ⅰ(13:51)Andante-Allegro ma non troppo
Ⅱ(13:56)Andante con moto
Ⅲ(10:36)Scherzo.Allegro vivace
Ⅳ(13:10)Allegro vivace
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
1957年実況録音
シューベルト:交響曲第9番、他
いきなり開始のホルンが、聴衆の拍手が終わらないうちに始まるのには驚かされます。僕は特に第2楽章の盛り上がりとそのあとのしんみりとした味わいが好きです。
故宇野功芳氏は、フルトヴェングラーの演奏の魅力を「情熱と寂しさ」と言っていました。
つまり芸術の奥深さは、ネガティブな部分がないと魅力がないということです。
「アンチ・スター」と言われることもあるクナッパーツブッシュにもそれがあります。
僕は、クナッパーツブッシュの演奏聴いていつも心が締め付けられる思いがします。
一見、クナッパーツブッシュの豪放磊落な行いと思われる中に、人々は、果てしない悲しみを感じるかもしれません。
それはもしかしてナチス・ドイツの下で演奏せずにはいられなかった過去があったからかもしれません。
クナッパーツブッシュの名盤 尽きることがない旅
フルトヴェングラーにしろ、クナッパーツブッシュにしろ、困るんだよね、知ってしまったからには、もっと聴きたくなってしまうんだよね。
もしかして、録音状態があまりよくない状況で残されていたのが良かったりして。
人は、僅かに見え隠れするものに興味をそそられたりするものです。
全部まる見えでは、その人が持つ想像力が発揮されないのかもしれません。
貧しい録音の奥にあるものを自分の想像力を駆使して、頭の中で補正しながら聴いているのかもしれません。
また、それがクラシック音楽という芸術を楽しむ醍醐味かもしれませんね。
自分だったらこの部分は、こんな風に演奏するのにとか考えて、聴いていると本当に面白いですね。
まとめ
クナッパーツブッシュとウィーンフィルのよる、シューベルトの交響曲第9番ハ長調「ザ・グレート」は、歴史的録音で、しかも音質も悪くなく、よく残してくれたものだ、と感謝します。
演奏も超弩級の名演。
まずイントロの有名な旋律がホルンのソロですが、なんと観客の拍手が終わらないうちに始まります。
えっ、と思うけどクナッパーツブッシュには、よくあるようで、同じシリーズの中に収められているブルックナーの3番も同様の開始をしています。
クナッパーツブッシュの名盤、迷盤はいろいろありますので、このブログでも積極的に取り上げて行きますね。
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