こんにちは、
ともやんです。
片山杜秀著『音盤博物誌』の第37項はエッシェンバッハについてで、フィラデルフィア管とのマーラー交響曲第6番を取り上げて解説しています。
実は、昨晩この録音を聴いていて、どうも滅入ってきて聴き通せなくなり、今朝、改めて同じコンビによるチャイコフスキーの”悲愴”を聴いて、コメントしようとしている次第です。
マーラーの第6番に関して、エッシェンバッハの演奏がどうのこうのという前に、僕にとって馴染みのない曲なので、他の演奏との比較が単にできないだけのことで、こちらが改めて聴き直し、論じたいと思います。
クリストフ・エッシェンバッハについて
僕がクラシック音楽を聴き始めた1970年頃のエッシェンバッハは、まだ30歳前後でピアノ界の貴公子なんて言われて、なんか神経質そうに映っているジャケット写真が印象に残っています。
確か、大学生の頃モーツァルトのピアノソナタ集のカセットテープを聴いていたように思います。
ただ、僕が大学生の頃と言うと既に70年代も終わりの頃ですから、エッシェンバッハは既に指揮者として活動していた頃だと思います。
ピアニストなどの器楽奏者などから指揮者に転向する人は多いです。
ただそれにはザクッと大きく分けて2種類あるような気がします。
幼少期からピアノや弦楽器を学び、一時的にはオケなどで活動して青年期には指揮者として活動し出している人。多分、多くの指揮者がこちらではないかと思います。
トスカニーニは、オケのチェリストでしたし、フルトヴェングラー、ワルター、セルなどは達者なピアノを聴かせてくれます。バーンスタインなどはピアニストとして大成したかもしれません。
もうひとつのグループは、ソリストとして活躍した後、ある年齢から指揮者に転向する人です。その転向理由はいろいろでしょうが、表現者としてより体力や技巧を要する器楽奏者よりも指揮者の方が、長く活動できたり表現の幅も拡がると感じるからでしょうか?
ところが、エッシェンバッハは最初から指揮者になるつもりだったそうです。
たまたま少年期にピアノで注目されてしまいましたが、10歳か11歳の時にフルトヴェングラーの実演に接し、指揮者になることを決意し、セルやカラヤンの薫陶を得て、指揮者として素養を養ったいたようです。
だから僕のように表面的にしかエッシェンバッハを観ていなかった人間には、神経質で精細なイメージのエッシェンバッハとスキンヘッドの逞しい体躯の指揮者がどうしても繋がらず、戸惑ってしまったのでした。
エッシェンバッハ チャイコフスキー交響曲第6番”悲愴”
エッシェンバッハは、2003年から2008年までフィラデルフィア管の音楽監督を務め、録音も先述のマーラーの交響曲第6番、チャイコフスキー交響曲第4番から第6番、ショスタコーヴィチの交響曲第5番などを残しています。
さて、片山杜秀氏の本では、多重人格者エッシェンバッハとして紹介され、その演奏には、薫陶や影響を受けたフルトヴェングラー、セル、カラヤンのイメージが各所で感じられる印象だと書かれています。
で、この悲愴は、どうかと言うと僕にはよく分からないですが、第一楽章の展開部、終楽章の盛り上がりなどは、確かにフルトヴェングラーを連想させます。ただ、それ以外はスムーズな音楽の流れで、全体の印象では美しいチャイコフスキーを聴いたなというものでした。
つまり一筋縄ではいかない演奏で、それがよりエッシェンバッハに惹かれてしまう自分もいたのです。
ぜひ、聴いて欲しい録音です。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー – Pyotr Il’yich Tchaikovsky (1840-1893)
交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」 Op. 74
Symphony No. 6 in B Minor, Op. 74, “Pathetique”
1.(19:48) I. Adagio – Allegro non troppo
2.(07:56) II. Allegro con gracia
3.(09:12) III. Allegro molto vivace
4.(12:36) IV. Finale: Adagio lamentoso
total(49:32)
フィラデルフィア管弦楽団 – Philadelphia Orchestra
クリストフ・エッシェンバッハ – Christoph Eschenbach (指揮)
録音: October 2006, Verizon Hall, Philadelphia, United States
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」/ドゥムカ(フィラデルフィア管/エッシェンバッハ)
2008年5月クリストフ・エッシェンバッハがフィラデルフィア管弦楽団を率いて来日した際にあわせて発売された。 第1楽章の第2主題の美しさ,第4楽章の激しく聴かせる盛り上がり方などいずれも見事で非常に完成度の高い演奏だ。この見事に銀光輝く”フィラデルフィア・サウンド”と、持ち前のクールさを失わず、綺羅びやかに響き、冴えわたるエッシェンバッハの指揮は、まさに絶妙の融合だ。しかし、実はこのコンビも一昨年すでに解消、惜しい気がする。ナクソスミュージックライブラリーのレビューより
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