こんにちは、
ともやんです。
クリスチャン・フェラス。
名前だけは以前から知っている。
しかし、その名演の録音はまだ聴いたことがなかった。
そんなことで、今日が誕生日ということで聴いてみることにした。
その前に、クリスチャン・フェラスの経歴を見てみよう。
1933年6月17日、ル・トゥケ生まれのヴァイオリニスト。
ル・トゥケというと、パリやロンドンから2時間ほどいけるリゾート地で、恵まれた環境とリゾート地にふさわしい優れた商業施設があることから、一年を通じて季節ごとににぎわっているそうだ。
1933年というと昭和8年で僕の父と同い年。
父は健在だが、フェラスは1982年9月15日パリで49歳で亡くなっている。
これに関してはのちほど。
ニース音楽院でビステジに、パリ音楽院でベネデッティとカルヴェに学ぶ。13歳で音楽院を首席で卒業、1948年、シュヴェニンゲン国際コンクールに優勝、1949年、ロン=ティボー国際コンクールで1位なしの2位を獲得、国際的に名声を高めた。
クリスチャン・フェラス カラヤン
1960年代にはカラヤンに起用され、評価は一段と高まった。
多分僕はカラヤンと共演しているヴァイオリニストとしてその名前を記憶に留めていたと思う。
しかし、49歳という若さで亡くなった。パリのアパートの10階の自室から投身自殺とのこと。うつ病だったという説、プレッシャーから飲酒癖だったと書いているサイトもあるが詳しくはわからない。
ただ、諏訪内さんのエッセイ、ジャクリーヌ・デュプレの映画などからも窺えるが、人気奏者は、次から次へと演奏会、ツアー、レコーディングに明け暮れる生活が続くようだ。
諏訪内さんが賢明だったのは、チャイコフスキー・コンクール優勝後のメディアの騒ぎに比例して、どんどん申し込まれるメディア出演やコンサートオファーに明け暮れる生活を一旦リセットしてアメリカに留学し、音楽だけでなく一般教養に身につけたこと。
そしてきちんと育ててくれるマネジメント・オフィスと契約したこと。
例えば現在のプロ野球の佐々木朗希投手のように逸材は大切に育てるというマネジメントが必要で、昔のプロ野球のように逸材と言われながら、使い倒されてなんと多くの若者が去って行ったかのような現象が、音楽界にもあったようだ。
つまりマネジメント側は、きちんと一人の人間として敬意を持って接するか、それとも単に商品としてしか見ないかの違い。
サラリーマンも同じで、企業から人財と見られるか、コストと見られるか、そして社員、従業員を大切にする企業は長く続くように思う。
クリスチャン・フェラス – SWR録音集(1953-1972)
さて、クリスチャン・フェラスの名演をオリジナル・テープからリマスターした素晴らしいCDセットが発売されました。
初出多数!クリスチャン・フェラスの名演をオリジナル・テープからリマスターしてリリース】フランスを代表するヴァイオリニストの一人、クリスチャン・フェラス(1933-1982)。
フェラスは気品を湛えつつも音楽に没入し、時に激しい情熱のほとばしりが感じられる演奏で聴衆を魅了、戦後フランスを代表するヴァイオリニストだった。
フェラスは戦後のドイツでも人気が高く、各地の放送局が収録・放送した演奏がCD復刻されているが、このセットはベルクを除く全曲がオリジナル・マスターからの初CD化。
名コンビであったピアニストのピエール・バルビゼと組んだ、ベートーヴェンの”クロイツェルと””春”。ハンス・ミュラー=クライと共演したベートーヴェン、ブロムシュテットと共演したブラームスの協奏曲など、魅力的な演奏が多く収録されています。
フランスを代表するヴァイオリニストの一人、クリスチャン・フェラス(1933-1982)。気品を湛えつつも音楽に没入し、時に激しい情熱のほとばしりが感じられる演奏で聴衆を魅了、戦後フランスを代表するヴァイオリニストとして国際的に活躍しました。1961年と71年には来日公演も行いましたが、1982年に悲劇的な死を遂げ、世界中のファンを悲しませました。フェラスは戦後のドイツでも人気が高く、各地の放送局が収録・放送した演奏がCD復刻されていますが、このセットはベルクを除く全曲がオリジナル・マスターからの初CD化。ヴァイオリン音楽のファンは注目のリリースです。
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