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クレンペラー ベートーヴェンの名盤 57年のステレオ録音を仰ぎ見る

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クレンペラー ベートーヴェンの名盤

 

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)

 

交響曲第1番ハ長調作品21
Ⅰ Adagio molto-Allegro con brio 09:46
Ⅱ Andante cantabile con moto 08:48
Ⅲ Menuetto.Allegro molto e vivace 04:01
Ⅳ Finale.Adagio-Allegro molto e vivace 06:17

 

交響曲第2番ニ長調作品36
Ⅰ Adagio-Allegro 13:18
Ⅱ Larghetto 13:05
Ⅲ Allegro 03:53
Ⅳ Allegro 07:01

 

オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音1957年10月ロンドン

 



仰ぎ見るクレンペラーのベートーヴェン

 

昨日に続いてクレンペラーのベートーヴェンで、しかも曲も同じ第1番で
記事を書くのも忍びないのですが、久々に聴くとやはり凄い演奏なので
書かずにはいられないということでご了承ください。

 

80年代からの古楽器演奏の台頭やモダン楽器のオーケストラもどんどん心地よい美音になってきているように僕は感じます。

 

美しい音を奏でるのは誠に良いことで、このブログでもムーティ&フィラデルフィア管のベートーヴェン全集をどこもかしこも美しくない音はないと絶賛しています。

 

でも、クレンペラーを聴くとなにか違う、いや何かが足りないと感じてしまいます。

 

それはメディアの発達により、クラシック音楽が大衆的になり、僕もその恩恵を受けているのですが、なにかが違うんですね。

 

例えば、富士山は世界遺産になり、日本人で知らない人がいない、日本でもっともポピュラーな山ですが、富士山から我々に低くなって登りやすくしてくれるわけではない。

 

夏山にそれこそ沢山の人達が登りますが、それなりの体力と装備が必要ですし、甘く見ているとケガもする。冬になれば一般の人は登らなくなるし、登山家でも命がけで登らなければならない。

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つまり僕としては、クラシック音楽は、大衆的になり、知名度も広がり、誰でも楽しめるようになったけど、いつまでも高い山であってほしいのです。

 

クレンペラーのベートーヴェンは峻厳な山の如く

 

そこへ行くとクレンペラーのベートーヴェンの演奏は、ベートーヴェンの偉大さを偉大なまま僕らに突き付けてきます。

 

評論家の中には、クレンペラーのあの晩年の演奏スタイルを一番高く評価している方もいますが、僕は最近50年代も凄かったと感じています。

 

60年代にない、生命力を感じるからです。

 

クレンペラーの描くベートーヴェンは、常に威厳があり、仰ぎ見るような演奏ですが、その中に得も言われぬチャーミングな部分も垣間見えます。

 

だから、聴く方も極めてみようという意欲がわいてくるのだと思います。

 

絵画や彫刻、生け花などは作者の作ったものをそのまま観ることが出来ます。

しかし音楽は、楽譜があっても、演奏する人によって、受けては様々な印象を受ける訳です。

 

ロマンティックに表現する人、厳しく表現する人、軽快に表現する人、テンポも幅があり、だからクラシック音楽を聴くことが飽きないのです。

 

クレンペラーのベートーヴェンを聴いて、高みを目指そう!



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