クナッパーツブッシュの名盤
ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲第7番 イ長調 作品92
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
第1楽章:Poco sostenuto-vivace 11:39
第2楽章:Allegretto 09:43
第3楽章:Presto 08:12
第4楽章:Allegro con brio 06:27
1929年11月19日録音ベルリンにて
アリアCDの復刻盤
1929年というとクナパーツブッシュは、まだ43才。
でもクナはその頃から、クナでした。
このベートーヴェンも凄い推進力を発揮する個性的な演奏で、
アリアCD渾身の復刻から、弦楽器の色気十分の響きや
木管楽器のチャーミングが音色が堪らなく魅力的な演奏です。
クナパーツブッシュの破天荒さはピエロにあらず
クナパーツブッシュの演奏を聴くなら誰も大人しい演奏は期待していない。
かと言ってクナパーツブッシュはお道化者、お調子者のピエロかというと違います。
クナの演奏で聴こえてくるのは、他の指揮者からは聴こえてこない、内声の旋律だったり、響きだったりします。
クナは、もしかして非常に反権力的に民主的な考えの人だったのはと僕は勝手に思っています。
他の指揮者の演奏だと埋もれているような、フレーズや内声部分を浮き彫りにして、その奏者に満足感や達成感を与えているのではないしょうか?
だから、彼の演奏がどんなに破綻しそうで、壊れそうでも、決して崩れないのは、楽団員が自分たちの仕事をしていれば、クナが認めてくれるという悦びを感じているからではないかと僕は勝手に思っています。
クナパーツブッシュ 粗にして野だが卑ではなし
僕は、クナパーツブッシュの演奏を聴いているといつも
「粗にして野だが卑ではなし」という言葉を思い出します。
この言葉自体は、元国鉄(日本国有鉄道、現JR)総裁の石田禮助氏が
国会で国鉄総裁就任の挨拶をした時の言葉です。
自分は粗野な性格だが卑しい性格ではない、という意味です。
城山三郎の小説は、この石田禮助の生涯を描いた同名の小説がります。
クナの演奏は時に色物的に聴かれる時もあるようですが、好き勝手をやっているようだし、きっちりと正確な演奏を目指しているようには聴こえないし、時に雑な感じを受けることもありますが、常に品格を備えていて、襟を正したくなります。
まとめ
クナパーツブッシュと言う人の演奏を聴いていると次は何をやってくれるんだろう、というワクワク感と
生きるのは大変だけど、たかが人生、楽しくやろうぜ!
というネガティブ思考からの開き直りを感じさせてくれます。
だからクナの演奏が、亡くなってから50年以上も経つのに
新しい復刻盤が出て聴き継がれているだと思います。
僕は、アリアCDの復刻盤を聴きながら、クナの時空超えて伝わる魂と
それを現代に再現し、末永く後世に残そうとする店主松本大輔氏の気骨を感じずにはいられません。
聴かずに死ねない名演です。
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