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ケルテス ブラームス交響曲全集より第1番&ハイドン変奏曲

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こんにちは、
ともやんです。

もうそんな経ったんですね。
ハンガリー出身の名指揮者イシュトヴァーン・ケルテスが、イスラエルのテルアヴィブの海岸で遊泳中、高波にさらわれて命を落としたのが1973年4月16日のことでした。
つまり今日が没後50年の命日なのです。

ちょうどイスラエル・フィルで客演公演で来ていた時でした。
4月中旬というと遊泳には早い印象を受けますが、テルアヴィブは、地中海に面した温暖な都市。僕も何度か訪れましたが、陽光煌めく地中海を見ていると思わず、泳いでみたくなる誘惑にかられます。

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ブラームスの交響曲全集録音中の悲劇

僅か45歳という若さで亡くなったケルテス。これから巨匠として歩みを始めようかという時期でした。前年からはウィーン・フィルとブラームスの交響曲全集の録音を開始していました。

まず、72年11月に交響曲第4番、続いて第3番が73年2月、第1番が翌3月、そしてハイドンの主題による変奏曲が録音中で、残りをケルテスを偲んで、ウィーン・フィルが指揮者なしで録音しています。

そして残念がら第2番は録音できませんでした。
そのためこの全集には、第2番だけ約9年前に録音したものが収録されています。

つまりケルテスの訃報は、ウィーン・フィルとブラームスの交響曲全集の録音企画の進行中に起きた悲劇だったのです。

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ケルテス&ウィーン・フィルと因縁を感じる第1番

さて、ケルテスが指揮して録音した最後のブラームスは、交響曲第1番でした。録音データを見ると1973年3月としか記載されていません。

実は、僕はここに勝手に因縁を感じています。
僕は1973年3月25日に富山公会堂でウィーン・フィルの来日公演を聴いています。指揮はクラウディオ・アバドでした。

つまりウィーン・フィルは、ケルテスとブラームスの交響曲第1番の録音を終えて、日本へのツアーを行ったと思われます。

僕がアバドの指揮で聴いたウィーン・フィルは、数日前には、ケルテスの指揮でブラームスの交響曲を録音していたと思うと勝手に因縁を感じています。

なお、演奏は重厚過ぎない瑞々しいブラームスで、道半ばでの急逝が惜しまれてなりません。

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ケルテス ブラームス交響曲第1番&ハイドンの主題による変奏曲

ヨハネス・ブラームス – Johannes Brahms (1833-1897)
交響曲第1番 ハ短調 Op. 68
Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68

1.(16:07) I. Un poco sostenuto – Allegro
2.(09:06) II. Andante sostenuto
3.(04:47) III. Un poco allegretto e grazioso
4.(16:43) IV. Adagio – Piu andante – Allegro non troppo ma con brio
total(46:43)

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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
イシュトヴァン・ケルテス – Istvan Kertesz (指揮)
録音: March 1973, Sofiensaal, Vienna, Austria

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ハイドンの主題による変奏曲 Op. 56a5.
Variations on a Theme by Haydn, Op. 56a, “St. Anthony Variations”
total(18:53)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
イシュトヴァン・ケルテス – Istvan Kertesz (指揮)
録音: May 1973, Sofiensaal, Vienna, Austria

ブラームス: 交響曲全集, ハイドンの主題による変奏曲 イシュトヴァン・ケルテス ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ケルテスが最後に完成できなかった、ウィーン・フィルとの「ハイドン変奏曲」を含む不朽の名盤をSACDハイブリッド盤でリリースいたします。

1973年4月16日、ケルテスはテル・アビブで遊泳中に亡くなったため、録音途中であった「ハイドン変奏曲」が指揮者なしで録音し完成したことは有名な話ですが、これにより交響曲第2番の再録音も叶いませんでした。

’64年の第2番の録音は、ケルテスとウィーン・フィルにとってはDECCAレーベルでの6回目のセッションであり、互いに信頼関係がより深く構築されてきたこともあってか、若干36歳の若手指揮者とウィーン・フィルとの共演とは思えないほどの充実振りです。

その後’72年に全集としての録音を第4番からスタートさせますが、約1年後に45歳で世を去ることになりました。残されたこれらの録音はLP時代からケルテスの代表盤のひとつとして、長く聴かれてきた至高の演奏です。



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