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ミトロプーロス ブラームス 交響曲第3番 トンデモ盤

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こんにちは、
ともやんです。

昨日3月1日がディミトリ・ミトロプーロス(1896-1960)の誕生日で、マーラーの交響曲第1番を聴きました。

同じCDに収録されてるマーラーの第9番が、亡くなる1か月前の録音だったのでこれをレビューしたいと思ったのですが、内容が重すぎるので、もう少し自分の中で消化してコメントしたいと思います。

そこで、今日は分かりやすいというかプチトンデモ盤ということブラームスの交響曲第3番をご紹介します。

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ミトロプーロス ブラームス 交響曲第3番のおもしろさ

さて、ミトロプーロス指揮コンセルトヘボウ管によるザルツブルク音楽祭でのライブ録音を聴きました。

聴きなれたこの曲がイントロから、ん!?アゴーギグとデュナーミクが強烈でなんか、変に聴こえてしまうのです。

アゴーギグとは、テンポやリズムを意図的に変化させることですが、フレーズからフレーズに行く経過句は、フレーズの初めのテンポがいちいち落ちるので、ちょうど車のノッキングを連想させるもので、なにか気持ちよくならない感じがあります。

全体的なテンポは早めで展開部の一部ではアッチェランドも掛けていて、かなり主観的な演奏だと感じます。

実際、この演奏を書籍で取り上げている鈴木淳史氏は、”実際はかなりキワドイ綱渡り解釈”とコメントしていて、ニューヨーク・フィルとのライブでも同じ解釈なので即興的な気まぐれではないだろうともコメントしています。

ミトロプーロスというと厳しく身の引き締まる演奏が多い印象ですが、かえってこんな主情的な演奏を聴くと何か、この人も人間なんだな、と親近感を持ち、ミトロプーロスがより好きになりました。

僕は、ミトロプーロスのブラームス交響曲第3番を聴いて、演奏という行為のおもしろさを改めて知ったのです。

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ミトロプーロス ブラームス 交響曲第3番

ヨハネス・ブラームス – Johannes Brahms (1833-1897)
交響曲第3番 ヘ長調 Op. 90
Symphony No. 3 in F Major, Op. 90

1.(08:54) I. Allegro con brio – Un poco sostenuto
2.(07:49) II. Andante
3.(06:01) III. Poco allegretto
4.(09:47) IV. Allegro – Un poco sostenuto
total(32:31)

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 – Royal Concertgebouw Orchestra
ディミトリ・ミトロプーロス – Dimitri Mitropoulos (指揮)
録音: 10 August 1958, Live recording, Salzburg Festival, Austria

——————————

リヒャルト・シュトラウス – Richard Strauss (1864-1949)
33:08交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 Op. 30, TrV 176
Also sprach Zarathustra, Op. 30, TrV 176

5.(01:46) Einleitung-
6.(03:44) Von den Hinterweltlern-
7.(02:25) Von der grossen Sehnsucht-
8.(01:54) Von den Freuden-und Leidenschaften-
9.(01:52) Das Grablied-
10.(04:15) Von der Wissenschaft-
11.(04:57) Der Genesende-
12.(07:37) Das Tanzlied-
13.(04:38) Nachtwandlerlied
total(33:08)

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 – Royal Concertgebouw Orchestra
ディミトリ・ミトロプーロス – Dimitri Mitropoulos (指揮)
録音: 10 August 1958, Live recording, Salzburg Festival, Austria

ブラームス:交響曲第3番/R. シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(ロイヤル・コンセルトヘボウ管/ミトロプーロス)(1958)

ディミトリ・ミトロプーロスは、1896年3月1日ギリシャのアテネ生まれ。作曲をブゾーニ、指揮をエーリヒ・クライバーに師事。1930年にベルリン・フィルに招かれた際に急病のエゴン・ペトリに代わってプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を弾き振りして伝説的な存在になった。
37年にミネアポリス響、49年にニューヨーク・フィルの音楽監督に就任。1960年11月2日にミラノ・スカラ座でマーラーの交響曲第3番のリハーサル中に心臓発作で倒れ、帰らぬ人となった。享年64歳。



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