こんにちは、
ともやんです。
外出自粛の折、ご多分に漏れず部屋というか家の掃除をしました。かなりの不用品を処分しましたし、LPレコードも300枚近くディスクユニオンに売却のための査定に出しました。
ただ、誰しも考えることが同じか、それとも先方の人手不足問題のせいか、ディスクユニオンに出したLP約300枚は、査定が出せるのが、送付してから2ヵ月近く掛かり、7月初めということで、査定件数が多いと評価額も下がるかな、と変な心配をしています。
さて、掃除をしているとむかしのコンサートのパンフレットなどが数件出てきました。
朝比奈隆 ブルックナー自選集 新日本フィル 特別演奏会
掃除をしていて出てきたのが、A5サイズの冊子で、
それは、『朝比奈隆 ブルックナー自選集 新日本フィル 特別演奏会Ⅰ』
でした。
日付が、1992年9月2日、会場がサントリーホール。
もう28年前のことです。
当時僕は34歳。まだ独身で曜日を調べると水曜日。
当時勤めていた会社は乃木坂にあったので、サントリーホールまで歩いて行ったと思います。
正直、演奏はほとんど憶えていません。
ただ、演奏が終わった後、観客は、スタンディングオベーションで、朝比奈さんは、何度もステージに戻ってきて観客の歓声に応えていました。
僕は、この光景を見て、朝比奈さんは幸せな音楽人生を送った人だなぁ、と感じたのを憶えています。
なお、演奏を憶えていないのは、当時まだブルックナーの第5番をあまり聴き込んでいなかったので僕自身が理解できなかった可能性が高いです。
そして、今回その時のライブ録音をCDで聴き直して、これは凄い演奏だったんだなということがわかりました。その場に観客の一人として自分がいたことが光栄というか不思議というか、なんか変な感じです。
朝比奈さんのファンの中には、その存在を神格化する人と逆にアンチも存在します。僕は朝比奈さんの実演や録音を比較的聴いている方だと思いますが、
朝比奈さんの演奏には、素晴らしいものもあると思うし、それと同じくらい面白くない演奏もあると思っています。
例えば、60年代に北ドイツ放送響と入れた録音の多くは面白くないのに、70年代のヨーロッパツアーの録音は、どれも素晴らしく感銘深いのです。
かと言って、90年代になるとかなりムラが出来てきているように感じます。
どんな偉大な音楽家でも結果として100%素晴らしい演奏が出来るわけではないでしょう。
多分、凄い演奏というのは2割から3割ではないか、そしてその他はまあまあの演奏で、中にはどうしちゃったの?と思われる演奏もたまにはあると思います。
だから、クラシック音楽は面白いのです。
そういうことから考えると朝比奈さんは、やはり日本が誇る偉大な指揮者の一人です。
朝比奈隆&新日本フィル ブルックナー交響曲第5番
アントン・ブルックナー – Anton Bruckner (1824-1896)
78:50交響曲第5番 変ロ長調 WAB 105 (1878年稿・ハース版)
Symphony No. 5 in B-Flat Major, WAB 105 (1878 version, ed. R. Haas)
1.(22:45) I. Introduction: Adagio – Allegro
2.(17:20) II. Adagio, Sehr langsam
3.(14:04) III. Scherzo: Molto vivace (Shnell)
4.(24:41) IV. Finale: Adagio – Allegro moderato
total(78:50)
新日本フィルハーモニー交響楽団 – New Japan Philharmonic Orchestra
朝比奈隆 – Takashi Asahina (指揮)
録音: 2 September 1992, Suntory Hall
ブルックナー:交響曲 第5番 <ハース版> 新日本フィルハーモニー交響楽団 、 朝比奈隆
朝比奈隆が亡くなってしばらくが経ち、かつては一部で神格化された風もあった(そうなれば口さがないアンチもまた存在した)のも、今ではもう少し相対化して語れる時が来ているのかもしれません。
しかしそれは、半ば忘れていて、このようにNMLに登場したところでふと再訪して、想像以上の雄渾な音楽造形に改めて新鮮な思いで圧倒される、という形であるのかもしれません。
特にこの生々しく鮮明な録音でとらえられた名高いアルバムを大きな感動を持って聞き、新日本フィルの高い水準のアンサンブルと朝比奈の骨太で豊かな音楽表現が素晴らしい形で統合された、これからも名盤として語り継がれるべきものであると再認した次第です。
ナクソス・ミュージック・ライブラリーのレビューより
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