こんにちは、
ともやんです。
個人的には孤高の名指揮者と呼びたいセルジュ・チェリビダッケ。
戦後の混乱期と言えど、一時期はベルリンフィルの首席的存在でフルトヴェングラーの不在の期間、名門ベルリンフィルを支え、フルトヴェングラー復帰後も両頭として400回以上のコンサートを指揮したチェリビダッケ。
しかし、最後はその強烈な個性が災いしてオケとの軋轢を生み、まるでトンビに油揚げをさらわれたようにカラヤンに首席指揮者の座を奪われ、追われるようにベルリンを去った男。
カラヤンはカラヤンで、在任中は一回もチェリビダッケに指揮をさせなかった。
しかし、チェリビダッケもしたたかでした。
ベルリンフィルだけオーケストラではない、ドイツには優秀なオーケストラがたくさんと最終的にはミュンヘンフィルの首席指揮者となり数々のライブでの名演を残してくれました。
カラヤンが亡くなって32年。
チェリビダッケが亡くなって25年。
果たしてどちらの指揮者が、感動を残してくれているでしょうか。
それは聴く人それぞれが感じることだと思います。
ブルックナー交響曲第3番について
CDの紹介では、チェリビダッケは、ブルックナーの交響曲の中でも特にこの第3番を好んでいたそうです。
僕もこの曲が大好きです。
冒頭の野暮ったい弦に乗せて奏されるトランペットの主題を聴くといつもぞくぞくします。
この曲が作曲されたのは、1872年から73年に掛けてでブルックナーは48歳から49歳に掛けて。
作曲は楽章の順番に従って進められ、1873年8月、ボヘミアのマリーエンバートで終楽章のスケッチを終え、12月に総譜が完成しています。
原作では、ワーグナーの楽劇からの引用が多かったといわれますが、その後1876-7年に第1回目の改訂、1889年に第2回目の改訂を行い、今日の決定版となっています。
この交響曲は、ブルックナーが崇拝するワーグナーに捧げられました。彼はマリーエンバートの温泉地から出来上がったスケッチを携えて、バイロイトのワーグナーに会いに行き、献呈を申し入れました。
ワーグナーは快諾したのでブルックナーの喜びはひとしおだったと思われます。
ただ1877年12月16日にウィーンでブルックナー自身の指揮で行われた初演は大失敗だったと記録されています。
しかし、この交響曲第3番は傑作です。
僕が中学生の時から常に持っている音楽学者・属啓成(さっか けいせい)の名曲事典には、次のように書かれています。
第1交響曲の粗暴な奔放さと、第2交響曲における洗練された平静さは、この交響曲で巧みな融合点を見出し、内容的にはベートーヴェンの第9にも比するべきものが指摘され、かつ第6「田園」の影響らしいものもあって、巨人的な深刻さと平和な生の喜びは、渋いぼくとつな音語を通じてにじみ出る。
チェリビダッケ ブルックナー 交響曲第3番
チェリビダッケの演奏は、冒頭から遅めのテンポで丁寧に奏され、なにか幻想的な雰囲気を湛えたものです。
チェリビダッケの演奏で聴くと内容的にベートーヴェンの第九と比するものがあるということがなんとなく分かるような気もします。
ぜひ、聴いてみてください。
アントン・ブルックナー – Anton Bruckner (1824-1896)
交響曲第3番 ニ短調 WAB 103 (1889年稿・ノヴァーク版)
Symphony No. 3 in D Minor, WAB 103 (1889 version, ed. L. Nowak)
1.(25:07) I. Massig bewegt
2.(16:38) II. Adagio – Bewegt, quasi andante
3.(07:46) III. Scherzo: Ziemlich schnell
4.(15:04) IV. Finale: Allegro
5.(01:10) Applause
total(65:45)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 – Munich Philharmonic Orchestra
セルジュ・チェリビダッケ – Sergiu Celibidache (指揮)
チェリビダッケだけが到達したブルックナーの深淵
チェリビダッケが最晩年をともにしたミュンヘン・フィルとの一連のライヴ録音の中でも、ブルックナーの演奏は格別な位置を占めています。第3番はチェリビダッケが特に好んだ曲。独自の広大な世界が展開されています。
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