こんにちは、
ともやんです。
このブログで名指揮者テンシュテットの名盤を初めて取り上げます。
テンシュテットは、魂の指揮者で、イギリスの音楽評論家ノーマン・レブレヒトは、「現代の棒振り機械に対して敢然と戦う存在」と評しています。
また、本人も指揮の技術は誰からも教えてもらっていないということで、バトンテクニックは、上手くなかったようです。
ただ、音楽評論家ノーマン・レブレヒト氏の表現には、現代クラシック音楽界への皮肉も感じられ、現代は、技術的にうまい人がたくさんいるわけで、宇野氏も誰が演奏しているかわからないものが多くなった、というようにテクニック以上に大事なものがあるだろう、と言いたいのかもしれません。
19世紀から20世紀初頭に生まれ、活躍した指揮者が世を去り、個性的な演奏がなくなったと嘆く人もいますが、テンシュテット(1926-1998)はその最後の指揮者だったかもしれません。
テンシュテットの名盤 ロンドンフィルとの名コンビ
テンシュテットは、東ドイツ出身ですが、ロンドンフィルハーモニー管弦楽団とは、非常に良い関係ででしたが、彼が喉頭がんを発症し、活躍期間が短かったのが惜しまれます。
83年にロンドンフィルの音楽監督になり、87年には病気療養のため退任しています。
退任時に同楽団からは桂冠指揮者の称号を贈られています。
ロンドンのメディアは、テンシュテットを高く評価し、テンシュテットのいないロンドンフィルは、ミック・ジャガーのいないローリングストーンズと言われたり、ロンドンフィルの楽団員からも敬愛され、「テンシュテットのためなら120%の力が発揮できる」とまで言わしめています。
今日、ご紹介する録音が、1985年の録音で、ロンドンフィルの自主製作盤です。
テンシュテットの絶頂期の録音で、まさに獅子奮迅の活躍で、逆にこんな演奏を続けていたら生命がいくらあっても足りないよ、と思わせるくらいの演奏です。
前述の評論家ノーマン・レブレヒトが評して「現代の棒振り機械に対して敢然と戦う存在」を如実に表す演奏です。
逆に聴く方としては、覚悟をして聴かなければならないという使命感を感じ、もしかしてそれがいままでテンシュテットを敬遠していて理由かもしれません。
テンシュテット マーラー”巨人” ロンドンフィルとの名演
グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
さすらう若人の歌
Lieder eines fahrenden Gesellen (Song of a Wayfarer)
作詞 : グスタフ・マーラー – Gustav Mahler
1.(04:59)No. 1. Wenn mein Schatz Hochzeit macht
2.(04:44)No. 2. Ging heut’ morgen ubers Feld
3.(03:48)No. 3. Ich hab’ ein gluhend Messer
4.(06:19)No. 4. Die zwei blauen Augen
total(19:50)
トーマス・ハンプソン – Thomas Hampson (バリトン)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 – London Philharmonic Orchestra
クラウス・テンシュテット – Klaus Tennstedt (指揮)
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グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第1番 ニ長調 「巨人」
Symphony No. 1 in D Major, “Titan”
5.(15:39)I. Langsam, schleppend
6.(07:28)II. Kraftig bewegt, doch nicht zu schnell
7.(10:22)III. Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen
8.(19:04)IV. Sturmisch bewegt
total(52:33)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 – London Philharmonic Orchestra
クラウス・テンシュテット – Klaus Tennstedt (指揮)
マーラー 交響曲第1番「巨人」歌曲集「さすらう若者の歌」 クラウス・テンシュテット ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 トーマス・ハンプソン
【TOWER RECORDS 2006 年間 TOP 40 SELLERS】CLASSICALチャート22位
旧東ドイツから突然登場し、またたく間にスター指揮者となったテンシュテットですが、ロンドン・フィルを率いていた絶頂期の記録。スタジオ収録とは違った熱気があり、当時売り出し中だったハンプソンの歌も見事。
クラウス・テンシュテットの代名詞ともいえるマーラーによる作品を収録。
マーラーによる「交響曲第一番」は、BBCによる放送用ライヴ録音として1985年に収録されました。カップリングの「さすらう若者の歌」は、トーマス・ハンプソンが歌い、同じくBBCによって1991年に収録されました。両演奏は、マスコミによって「集中力の美しさ」として賞賛されていた時期のものであり、テンシュテットがロンドン・フィル首席指揮者を務めていた忘れ難い在任期間の中でも好対照をなすものです。
病による退任を余儀なくされて以来、晩年のテンシュテットによるLPOとのコンサート一回一回は、BBCによって放送録音され、多数の聴衆に聴かれるばかりではなく、それ自体がイベントとなりました。
LPOの力演も合わさり、こうした演奏には、かつて無いほどの聴きごたえがある名演奏という以上の素晴らしい雰囲気が宿っています。
「オーケストラは、美しい集中力を発揮して、マーラーの「さすらう若者の歌」を伴奏していた。」 [デイリーテレグラフ紙(1991)]
「トーマス・ハンプソンは、いたるところで印象的に長いラインを引き伸ばしていた。羨まんばかりの多彩な色彩感を歌の間や中から紡ぎ出していた。」 [ザ・タイムズ紙(1991)]
まとめ
いまだに、古くは1920年代からの録音が、CD化され、またはストリーミングで配信されているのは聴く人がいるからです。
で、その人たちは、僕も含めてですが、なぜそんな録音技術も未熟だったものをわざわざ聴くかと言うと、それは現代の演奏に失われたものを探そうとするからだと思います。
カラヤンは、新しいメディアが発表されると再録音を続けました。
モノラル録音⇒ステレオ録音⇒デジタル録音⇒映像と取り入れていきました。
誰かが書いていましたが、もしかしてフルトヴェングラーと闘っていたのではないか、と。
つまり54年に亡くなり、録音も全てモノラルで実況録音も多いフルトヴェングラーの録音が、亡くなった後もずっと重宝され、大きなビジネスとなっていることに対抗していたのというのです。
どちらが勝った負けたですがないですが、現代の音楽家は、録音の進歩と共に過去の音楽家とも競わなければならない宿命にあるのかもしれません。
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