こんにちは。
ともやんです。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)は、チャイコフスキーと得意として1939年にフルトヴェングラーに対抗するようにベルリンフィルとの最初の録音がチャイコフスキー”悲愴”でした。
その後、フィルハーモニア、ベルリンフィルと録音を重ね、この第5番は、5回目の録音となりました。
1984年。
クラシック音楽界の帝王と呼ばれた男も76歳。
一時の勢いはなくなって落日の気配が漂っていました。
この頃は、ベルリンフィルとの関係も悪化していました。
美人クラリネット奏者、ザビーネ・マイヤーの入団において、カラヤンとオーケストラが険悪な状況になっていました。
入団を決めるのは、試用期間1年間を経て、楽団員全体の投票で過半数以上を取らなければならない。
しかし、マイヤーは不採用となり、非常勤の契約となったつまり人手が足りない時に依頼するという形でした。
ただ、カラヤンはマイヤーがお気に入りで、自分が指揮するときは指名していました。
そういう状態で2年が過ぎ、’82年11月に楽団員総会で再度採用すかどうかの選挙があったが、ここでも不採用となってしまったのです。
それ以外にも当時のベルリンフィルのインデンタント(支配人)をも巻き込んで、オーケストラ対支配人とカラヤンという構図でごたごたが続きました。
結局、カラヤンとベルリンフィルは関係が修復することなく、’89年4月に終身指揮者としての契約が解除されました。
そんな状況の中でのウィーンフィルとの録音です。
第一楽章から、元気がない。
しかし、これは悪い意味ではなく、人生の究極の境地に悟りを開いたような、諦観という通奏低音が流れるような演奏なのです。
特に第二楽章は、しんみりとありし若き日を想い浮かべるような演奏になっています。
ようやく終楽章で力強さが戻って来ますが、常に寂しさが付いて回ります。
皮肉なことですが、カラヤンとベルリンフィルの関係が悪いから演奏も悪いということはなかったようです。
この頃のベルリンフィルとの録音は意外と名演が多いようで、名演は関係がいいから生まれるものはないということです。
カラヤン&ウィーンフィル チャイコフスキー交響曲第5番
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー – Pyotr Il’yich Tchaikovsky (1840-1893)
交響曲第5番 ホ短調 Op. 64
Symphony No. 5 in E Minor, Op. 64
1.(15:57) I. Andante – Allegro con anima
2.(13:40) II. Andante cantabile con alcuna licenza
3.(06:31) III. Valse: Allegro moderato
4.(12:05) IV. Finale: Andante maestoso – Allegro vivace
total(48:13)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Herbert von Karajan (指揮)
録音: March 1984, Grosser Saal, Musikverein, Wien, Austria
【SHM-CD】 チャイコフスキー:交響曲第5番 ヘルベルト・フォン・カラヤン 、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
チャイコフスキーが1888年48歳で作曲した交響曲第5番は、暗くのしかかる運命とそれに打ち克つ勝利を緻密な構成で描いている。特にチャイコフスキーの録音回数が多かったカラヤンにとって、この第5交響曲は5回目の録音でウィーン・フィルを振ってスケールの大きな洗練された演奏を展開している。
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