こんにちは、
ともやんです。
今日はレオポルド・ストコフスキーの命日です。
生年に関しては、本人は本気かふざけてかわかりませんが、インタビューなどで1885年生まれとか、1887年生まれとか自称していたそうですが、出生記録からは1882年生まれが正しいようです。
そして亡くなったのが、1977年9月13日。
正午前にイングランドのハンプシャー州ネザーウォロップの自宅で心臓発作により95歳で没したということです。
つまり45年前の今日ですが、生前の本人の行動を見てみると、ここで終わる予定ではなく100歳までの予定をちゃんと入れていたそうです。
直近でも1週間後の19日からレコーディングの予定が入っていたし、数年後にはベートーヴェンの田園をデジタル録音する予定でした。
なんと言っても驚くのは、前年の1976年にCBSコロンビアと6年契約を結んでいるのです。つまり契約満了で100歳になる計算でした。
まさに生涯現役どころか、それを突き抜けた人だったのです。
ストコフスキー 最高のエンターテイナー
2016年に86歳で亡くなった音楽評論家宇野功芳氏の書籍『名演奏のクラシック』(1990年刊)でストコフスキーを取り上げています。
本人曰く、自分はフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ムラヴィンスキー、ワルターといった芸術至上主義者を尊敬するため、その対局に位置するエンターテイナーであるストコフスキーは、もっとも自分から遠い存在としながら、高く評価しています。
その理由として、聴衆を楽しませることを最優先に考えていて、そのため編曲やアレンジ、演出を厭わなかった。また90歳を過ぎても常に新しい表現に挑戦をし続けていた。その姿に敬意を感じずにはおれなかったようです。
またストコフスキーは、エンターテイナーに徹しそれを隠そうともしなかったことに好意を感じていたようです。宇野氏は、芸術家の仮面を被った音楽家をもっとも嫌っていたようです。
ストコフスキー 名盤 チャイコフスキー5番 シェエラザード
宇野氏は、著書でストコフスキーの名盤として2つの録音を挙げています。
チャイコフスキー交響曲第5番では、作曲者が耳にしたら怒りだすかもしれないとしながら、こんな芝居がかった演奏をは現代の指揮者では不可能だろうと記しています。
また、シェエラザードもやりたいことをやり尽くして目も眩むような色彩感溢れる演奏が素晴らしいと書いています。
https://wp.me/pamKHz-2jq
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僕はチャイコフスキー交響曲第5番に関しては記事をアップしています。
しかしシェエラザードは未聴なのでコメントできませんが、Amazon Music Unlimitedで聴くことが出来るアルバムを2つご紹介しておきます。上記で紹介してチャイコフスキー交響曲第5番もシェエラザードも聴くことが出来るのみならず、この2つをじっくり聴けばストコフスキーの魅力がきっと分かると思います。
Leopold Stokowski: Decca Recordings 1965-1972 – Original Masters
Leopod Stokowski: The Stereo Collection 1954 -1975
ストコフスキー カルミナ・ブラーナ
カール・オルフ – Carl Orff (1895-1982)
カルミナ・ブラーナ
Carmina Burana
total(51:39)
作詞 : 不詳 – Anonymous
ガイ・ガードナー – Guy Gardner (バリトン)
ヴァージニア・バビキアン – Virginia Babikian (ソプラノ)
クライド・ハーガー – Clyde Hager (テノール)
ヒューストン交響合唱団 – Houston Symphony Chorale
ヒューストン・ユース・シンフォニー少年合唱団 – Houston Youth Symphony Boys’ Choir
ヒューストン交響楽団 – Houston Symphony
レオポルド・ストコフスキー – Leopold Stokowski (指揮)
『カルミナ・ブラーナ』が収録されているCDは、残念ながら現在廃盤中です。しかしいつ復刻されるかわからないので紹介しておきます。
ただすぐ聴きたい方は、Amazon Music Unlimitedで聴くことが出来ますのでおすすめです。
「フィラデルフィア・サウンド」を生み出した華麗な指揮者のキャピトル録音の集大成。
20世紀の最も華麗な指揮者、ストコフスキーは1882年ロンドンで、ポーランド人の父とアイルランド人の母との間に生まれた。13歳でロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックに入学を許可され、後にはオクスフォード、クイーンズ・カレッジでも学び天才ぶりを発揮。1908年パリで指揮者デビュー、翌年から3年間シンシナティSOを指揮した後、1912年、フィラデルフィアOの音楽監督に就任、25年の長期間の関係でオーケストラと自身の世界的な評価を確立。
1915年にはUSの市民権獲得。コンテンポラリーな作品を積極的に採り上げ、シェーンベルク、ショスタコーヴィチ、マーラーラフマニノフ、シベリウス、ストラヴィンスキーの世界/US初演は数多い。
ハリウッド映画にも「The Big Broadcast」、「オーケストラの少女」、「ファンタジア」に出演、ハリウッドのWalk of Fameにも顕彰されている。キャピトル録音の3トラック・ステレオ・テープを使用して話題となった名録音の集大成であり、されにUAのSymphony of the Airの音源も収録。
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