フルトヴェングラーのチャイコフスキー悲愴 ドイツ風の名演

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フルトヴェングラーのチャイコフスキー

 

ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)
交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」

 

ウィリヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1938年10月25日~27日

 



 

フルトヴェングラー信念の音楽活動

 

1933年に政権をとったヒットラーのナチスは、

 

 

1938年の11月にゲッベルスの扇動でドイツ全土で、

 

ユダヤ人の大量虐殺を行っています。

 

 

 

そして翌1939年9月1日に、

 

ドイツ軍はポーランドに侵攻して

 

第二次世界大戦が始まりました。

 

 

 

そんな暗い影が忍び寄る世相で、

 

ドイツ音楽界もナチスの弾圧で、

 

命の危険を覚った多くの音楽家がアメリカなどに亡命しています。

 

 

 

ブルーノ・ワルターも1月31日もアメリカに渡っています。

 

 

 

しかし、フルトヴェングラーは、政治と音楽とは全く別のものという信念から、

 

愛するドイツのために祖国に残り音楽活動を続けました。



 

フルトヴェングラーが、初めてカラヤンを意識したチャイコフスキー

 

そんな中、1938年に新鋭のカラヤンが、

 

初めてベルリン・フィルを振っています。

 

 

このフルトヴェングラーの悲愴が録音された翌年39年には、

 

カラヤンは初めてベルリン・フィルと録音しましたが、

 

その曲目が、チャイコフスキーの悲愴だったのです。

 

 

 

フルトヴェングラーにとっては、

 

カラヤンの挑戦状ともとらえられる、選曲です。

 

この時からフルトヴェングラーが亡くなるまで、

 

二人のベルリン・フィルを巡る権力闘争が続くわけです。

 

 

 

さてこのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルの悲愴は、

 

官能的なポルタメントも使いながら緩急自在のドラマティックな演奏です。

 

 

ボルシチをドイツ風に味付けした演奏と言えば分かりやすいかな?
いや、余計分かりにくいか。。。

 

 

まとめ

 

当時、カラヤンは30才。ほとんど無名に近い存在でした。

 

一方、フルトヴェングラーは、50才を超え、押しも押されもせぬ、ドイツ音楽会の重鎮でした。

 

 

そんな、フルトヴェングラーは、なぜカラヤンに闘争心を燃やしたか。

 

フルトヴェングラーは、カラヤンに何を見のでしょうか?

 

ただフルトヴェングラーの1930年代の貴重な録音には変わりありません。

そんな中、1938年にカラヤンは初めてベルリン・フィルをコンサートで振ったのでした。

 



 


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