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バルトーク ヴァイオリン協奏曲第1番&第2番

バルトーク
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こんにちは、
ともやんです。

ハンガリーの偉大は作曲家ベーラ・バルトーク(1881-1945)。

今日9月26日は、バルトークの命日です。
1945年9月26日にニューヨークで亡くなりました。

64歳でした。

バルトークは、第二次大戦が起こってから祖国を去り、パリを経てアメリカに渡りました。1941年にはコロンビア大学の教授になりましたが、その4年後に亡くなってしまいました。

64歳と言うと現在の僕と同い年。
だから何か感じるものがあります。

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ベーラ・バルトークについて

ベーラ・バルトークは、1881年3月25日に、当時ハンガリー、現在ルーマニアのナジセントミクローシュに生まれ、1945年9月26日ニューヨークで亡くなりました。

8歳で父を失い、母と現在のスロバキアの首都ブラティスラヴァに移って音楽を学び、1899年から4年間、ブダペスト音楽院で作曲を学び、1907年には同音楽院の教授となりました。
その後、第二次世界大戦の勃発により、上記のようにアメリカに渡りニューヨークのコロンビア大学の教授となり、そこで生涯を終えています。

バルトークは、同国のドホナーニ、コダーイとともに現代ハンガリー音楽の建設者です。初期の作品には、リストの影響が見受けられるますが、その後ハンガリーの民族音楽に深い興味を抱いて、民謡や農民の舞曲の収集に全力を尽くしました。

その収集旅行は1904年に始まり、エリアもルーマニアからスラブ諸国に及び、採集した民謡は、すでに発表された数千曲の他に、2700曲のハンガリー民謡、3500曲のルーマニア民謡、200曲のアラビア民謡の多くが、未発表だったと言われています。

これらの収集の活動によりバルトークの創作上に新たな転換期を迎えました。
それ以来、バルトークはこの民族音楽の基盤の上に立って新しい世界を見出して行ったのです。

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ベーラ・バルトーク ヴァイオリン協奏曲集

バルトークは、どうもとっつきにくいのか、高校生の時ラベック姉妹による「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」のLPを購入しました。ただそこから発展しなかったのは、やはりバルトークの音楽にピンとこなかったのだと思います。

でも、このヴァイオリン協奏曲は、なにか感じるものがあります。
特に第2番の方です。
1930年の作品で、ごつごつした不協和音塊の連続で馴染みにくいのですが、西ヨーロッパにはみられない、野性的な躍動感を感じます。

演奏は、ウィーンフィルのコンサートマスターとして全盛期に不慮の事故で亡くなったゲルハルト・ヘッツェルのソロとアダム・フィッシャー指揮ハンガリー国立交響楽団。
こんな素晴らしい演奏を聴くと本当に惜しまれます。

ベーラ・バルトーク – Bela Bartok (1881-1945)
ヴァイオリン協奏曲第1番 BB 48a
Violin Concerto No. 1, BB 48a

1.(10:31) I. Andante sostenuto
2.(11:55) II. Allegro giocoso
total(22:26)

————————–

ヴァイオリン協奏曲第2番 BB 117
Violin Concerto No. 2, BB 117

3.(16:39) I. Allegro non troppo
4.(11:21) II. Andante tranquillo
5.(12:01) III. Allegro molto
total(40:01)

ゲルハルト・ヘッツェル – Gerhart Hetzel (ヴァイオリン)
ハンガリー国立交響楽団 – Hungarian State Symphony Orchestra
アダム・フィッシャー – Adam Fischer (指揮)

バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第1番、第2番<タワーレコード限定> ゲルハルト・ヘッツェル アダム・フィッシャー ハンガリー国立交響楽団

ウィーン・フィルのコンサートマスターとして人気を誇ったゲルハルト・ヘッツェル。
不慮の死の前年に録音された、バロック音楽以外では唯一の協奏曲セッション録音。
英本国、Nimbusレーベルのエンジニアによる最新リマスタリングで復活!

昨年、生誕80年を迎えたウィーン・フィルの名物コンサートマスターだったゲルハルト・ヘッツェル(1940~1992)による貴重な協奏曲録音です。

ユーゴスラビア出身で、12歳よりルツェルンでシュナイダーハンに師事した彼は、1963年よりベルリン放送交響楽団のコンサートマスターを務めた後、1969年にウィーン・フィルに入団し、1971年からボスコフスキーの後任として第1コンサートマスターに就任しました。以来、20年に渡ってウィーン・フィルの顔として活躍しましたが、その絶頂期の登山中の死は多くのファンを悲しませました。

死の前年に録音されたこのバルトークは、バロック音楽以外では唯一の協奏曲セッション録音であり、かつそのユニークな解釈により唯一無二の価値をもつものです。

両曲ともハンガリーの民族色は純音楽的に昇華され、グロテスクなものも排除され、極めて洗練された抒情的で美しい音楽を鳴り響かせています。指揮のアダム・フィッシャーも決して楽器を絶叫させることなく、柔らかくブレンドした響きでソリストを包み込み、この名演の大きな力となっています。



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