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チェリビダッケ ブラームス交響曲1番 ウィーン響との炎のライブ

チェリビダッケ
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こんにちは、
ともやんです。

チェリビダッケが、1952年10月30日にウィーン交響楽団を振ったブラームス交響曲第1番のライブ演奏が凄いです。ぜひ聴いてください。

チェリビダッケ/ウィーン響 ブラームス1番

セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)。
ルーマニア出身の名指揮者。

その指揮者としてのスタートはユニークです。
ドイツ敗戦の1945年。
30歳を僅かに過ぎた経歴らしきものがほとんどない若者が、いきなりベルリンフィルの指揮台に立ったのです。

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チェリビダッケ ベルリンフィルを指揮した背景

敗戦直前にスイスに亡命していたフルトヴェングラーは、非ナチ化審議の中復帰できず、レオ・ボルヒャルトが暫定首席指揮者に就きますが、わずか3ヵ月で、米軍の誤射で不幸な死を遂げました。

そんな中、チェリビダッケは、ボルヒャルトの死から僅か6日後にはベルリンフィルを指揮したと記録が残っています。

この時期、フルトヴェングラー以外も多くの実力ある指揮者が、ナチに協力した疑い下にあったり、またユダヤ人ということでとっくにドイツにいなかったりとまさに「不在」の状態だったのです。

そして、チェリビダッケが、この1945年春から夏にかけてベルリンに「いた」ことが幸運でした。まさに時の利によってチェリビダッケは、ベルリンフィルの指揮台に立てたのです。

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チェリビダッケとフルトヴェングラー

フルトヴェングラーは、晴れて47年に復帰。再びベルリンフィルの指揮台に立ちました。

フルトヴェングラー復帰後もチェリビダッケは、フルトヴェングラーと二人体制でベルリンフィルと演奏を続けます。

フルトヴェングラーとしてもベルリンフィルに縛られず、各地を客演して回ったり、作曲活動に時間もさけるので都合が良かったようです。

1952年になってようやくフルトヴェングラーは、ベルリンフィルと首席指揮者、音楽監督として正式契約を取り交わします。

この時期から、フルトヴェングラーとチェリビダッケの間に不協和音が生じてきます。

記録によると手紙のやり取りが多かったようなのでいろいろ誤解も生じたのでしょう。

そしてチェリビダッケの過激な性格も災いして、オーケストラとの関係も悪くなっていきます。

そしてチェリビダッケは、ベルリンフィルと距離を置くようになり、ブエノスアイレスなどの南米などにも客演に行くようになりました。

そんな中、52年のザルツブルクでフルトヴェングラーが倒れます。

一時は危ない状況だったようで、どこからの情報か不明ですが、ベルリンの新聞には、チェリビダッケがベルリンフィルの後継者と載ったこともありました。

チェリビダッケ指揮ウィーン交響楽団 ブラームス1番

そんな時期のウィーン交響楽団との録音です。

第1楽章から火の出るような演奏です。

また終楽章では、テンポを動かして主観的な演奏を展開しています。

フルトヴェングラー風のアッチェランドも見られます。

ただ完成度は非常に高く、またウィーン交響楽団が、必死にチェリビダッケの指揮に喰らいついていく様が凄いです。
まさに一期一会の熱演で、終演後の観衆の熱狂も収録されています。

モノラルですが、音質も良く鑑賞には十分です。
CD帯解説にもありますが、ウィーン交響楽団自身がリマスターしたとのこと。

結局この2年後、フルトヴェングラーが亡くなり、ベルリンフィルの主席指揮者になったはカラヤンでした。
それまで10年近くで400回も演奏を重ねてきたチェリビダッケは、僅か数回しか指揮をしなかったカラヤンに負けたのです。

このウィーン交響楽団とのブラームス1番のライブが、当時のチェリビダッケの鬱憤を晴らすかのような名演です。

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チェリビダッケ指揮ウィーン交響楽団 ブラームス1番

ヨハネス・ブラームス – Johannes Brahms (1833-1897)
交響曲第1番 ハ短調 Op. 68
Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68

1.(13:35) I. Un poco sostenuto – Allegro
2.(09:40) II. Andante sostenuto
3.(05:24) III. Un poco allegretto e grazioso
4.(17:25) IV. Adagio – Piu andante – Allegro non troppo ma con brio
total(46:04)

ウィーン交響楽団 – Vienna Symphony Orchestra
セルジュ・チェリビダッケ – Sergiu Celibidache (指揮)
録音: 30 October 1952, Konzerthaus Vienna, Austria

Brahms: Symphony No.1 Op.68 セルジュ・チェリビダッケ 、 ウィーン交響楽団

名指揮者フルトヴェングラーに飽くなき闘争心を抱き、また、自身の芸術を深く追求していく過程にあった若きチェリビダッケの燃えるようなブラームス(1833-1897)です。

以前、いくつかのレーベルから非正規盤(?)として発売されていた幻の録音。今回、このマスターテープを保有しているウィーン交響楽団が自らリマスタリングを試み、自信に満ちた音を得て発売に至ったものです。

チェリビダッケ本人の言葉を信じるならば「レコード(CD)は音楽の破壊である、なぜならば音楽というものはホールの音響空間で再現するもので、マイクで収録するのは限界があるからだ」ということになりますが、実際にはSPの時代から歴史的モノラル、そして現代のハイエンドの時代においても、マイクとスピーカーで自然な響きを再現することはある程度可能でした。(ただし70年代に行われた試み、モノラル録音を電子的にステレオに再加工した・・・いわゆる疑似ステレオ・・・については、あまり成功したとは言えない)しかしながら、現在の技術においては、当時録音したモノラルの磁気テープのデータをデジタルリマスターすることで、より良い音を再現できるようになっています。

この1952年のモノラル録音の修復も、マスターテープの経年老化などにより、困難な作業を伴いましたが、非線形歪みを極力排除し、新しいフィタリング技術で美しい響きと豊かな空間性を再現することに成功しています。
ナクソス・ジャパン



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