こんにちは
ともやんです。
ジョージ・セル(1897-1970)は、ハンガリーのブラペスト生まれ。のちにアメリカで活躍した20世紀を代表する名指揮者。
ストラスブール市立歌劇場の首席指揮者を振り出しにヨーロッパ各地の歌劇場、オーケストラに当所し絶賛されました。ナチスの台頭ともにヨーロッパを離れ、トスカニーニの招きでNBC交響楽団の客演指揮者、またメトロポリタン歌劇場へ客演を繰り返しました。
1946年より生涯の手兵となるクリーヴランド管弦楽団の音楽監督(1946-70)となり、名実ともに世界のトップ・オケに育てました。
ジョージ・セルのブルックナー
ジョージ・セルとクリーヴランド管が正規で残したブルックナーの録音は、第3番と第8番の2つだけです。
しかも定期演奏会で取り上げたブルックナーは第3、7、8、9番の4曲のみでした。
このうち第3番は1949/50年、1963/64年、1965/66年の3シーズンで取り上げられました。
第8番に関しては、1947/48年、1948/49年、1954/55年、1969/70年の4シーズンで取り上げられました。
そしてそれぞれその最後の機会に演奏会と並行してセッションが持たれ、録音されました。
セルは、基本的に1日でLP1枚分の録音を仕上げるのが常だったようですが、珍しく第3番は2日間、第8番は大曲ゆえか何と4日間をかけて丁寧に収録されました。
ジョージ・セル 録音と実演のギャップ
セルは、交響曲第3番に関してブルックナーが残した3つの稿の中で最もポピュラーでコンパクトにまとまっている第3稿を使用しています。
この曲はドレスデン国立管(1965年ザルツブルク音楽祭)とのライヴ録音やモノクロながらウィーン・フィルとのライヴ映像(1966年ムジークフェライン)も残されています。
そこからセルの愛奏曲の一つだったことがわかります。
セルの録音は、クラシック・ファンやレコード評論家たちに人気がなく、演奏家たちには打って変わって評価が高かったそうです。
その理由として、レコーディングの音質があまり良くなかったということが、『名指揮者120人のコレを聴け!』にコメントされています。
つまりレコードでしか演奏聴くことが出来なかったクラシック・ファンや評論家は、その演奏に素晴らしさに気付けなかったのかもしれません。
その証明として、1970年の万博に来日した時に実演に接し、その素晴らしさに仰天した人が多いそうです。
ただ、今回セル盤を聴いたところでは、個人的には録音の音質に関しては特に悪いとは感じませんでした。もっとも僕は、そんな音質を気にするような再生装置を使っているわけではないからかもしれません。
また僕は、以前からセルの録音は好きでよく聴いていて、宇野さんがなぜセルに演奏を取り上げないのか不思議に思っていたものです。
なお、第8番のレビューは改めて行います。
ジョージ・セル ブルックナー交響曲第3番は名盤
ブルックナー
1.交響曲第3番ニ短調[1889年第3稿(ノーヴァク版)]
2.交響曲第8番ハ短調[1890年第2稿(ノーヴァク版)]
演奏:クリーヴランド管弦楽団 指揮:ジョージ・セル
録音:
第3番:1966年1月28&29日
第8番:1969年10月3日、6日、10日&13日
クリーヴランド、セヴェランス・ホール
ブルックナー:交響曲第3番&第8番 (2018年 DSDリマスター)<完全生産限定盤> ジョージ・セル 、 クリーヴランド管弦楽団
セル&クリーヴランド管、究極の名演奏
このブルックナーの交響曲第3番と第8番は、1966年と69年という、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団のコンビとしては最後期ともいえる円熟期に成し遂げられた「究極のオーケストラ演奏」としてあげるべき名演奏です。いずれもセルの厳しい造形力とオーケストラの精緻なコントロール力によって、作品の音符の一つ一つに至るまで吟味されながらも、その表現はあくまでもしなやかで、ゆるぎない緊張感の中に素晴らしい生命力を内包しています。
特に対位法的な書法での完璧なバランスは、まさにこのコンビの独壇場ともいうべき見事さで、遅めのテンポの中で緻密に響きが積み重ねられ、ブルックナーの音楽の持つ巨大な相貌が姿を現す様は圧巻の一言に尽きます。
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