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ロリン・マゼール 名盤 ブルックナー交響曲第5番 ウィーン・フィルと

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こんにちは、
ともやんです。

元東京フィルハーモニー交響楽団で広報渉外部部長をされていた松田亜有子氏の著書『クラシック名曲全史 ビジネスに効く世界の教養 』の本を読んでいると、一時期東京フィルを離れてアメリカに渡っていた時、世話になった方から「アメリカでビジネスを成功させたいなら、しっかりした教養を身につけなければいけない。最低、シェークスピアの4大悲劇とベートーヴェンの9つの交響曲は知っておく必要がある」と言われたそうです。

ここでいう知っておくというのは、シェークスピアとベートーヴェンについてある程度の知識を持ち、ビジネス界の要人たちと会話が出来るとレベルをいうのでしょう。

また、諏訪内晶子さんは、マネジメント担当者からは常に勉強しろと言われていたともエッセイで書いています。

ここでいう勉強とは、進学や昇級、資格試験のための勉強とは違い、様々な分野の教養を身につけるということだと思います。

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ロリン・マゼール 神童から巨匠へ

ロリン・マゼールは、1930年3月6日にパリで生まれましたが、生後間もなく家族でアメリカに移住し、幼少期からバイオリンと指揮を学び、8歳でニューヨークフィルを指揮してデビューし、10代半ばで全米のメジャーオケをほとんど指揮した人です。

ただ、10代後半でどのような考えがあったか、または誰かの助言があったがわかりませんが、ピッツバーグ大学では、言語学、数学そして哲学を専攻し、同時にオーケストラではバイオリニストとして、室内楽の奏者としても活動したそうです。

多分、こんな自己を研鑽時期を経たので、生涯音楽家として活躍できたのかもしれません。
そしてこの時期に幅広い教養を身につける素養が出来たのかもしれせん。

正式なポストに就いたのは、1965年35歳の時でベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送響の音楽監督でした。

その後、80年にクリーヴランド管の音楽監督、82年にはウィーン国立歌劇場の総監督にまで昇りつめました。

しかし、カラヤンの後任としてベルリン・フィルのポストが有力視されながら、同世代のライバルであるアバドに決まったことで、一時期かなり拗ねたようです。

ただ70歳を過ぎてからは、請われてニューヨークフィルの音楽監督、トスカニーニ・フィルの音楽監督、ミュンヘン・フィルの首席指揮者と2014年7月13日に84歳で亡くなるまで生涯現役でした。

豊かな才能を持ちながら、それを育むことも発揮することも出来ず、人生を終える人が多いように思いますが、マゼールは持て生まれた才能を開花させた人だと思います。

今朝聴いた録音は、マゼールがウィーンフィルと録音した中で唯一のブルックナーです。しかももっとも硬派な第5番。

1974年の録音で、この人時々過激な演奏をするので不安でしたが、終始端正で正攻法はブルックナーでした。

マゼールのことが少し好きになりました。

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ロリン・マゼール 名盤 ブルックナー交響曲第5番

アントン・ブルックナー – Anton Bruckner (1824-1896)
交響曲第5番 変ロ長調 WAB 105 (1878年稿・ノヴァーク版)
Symphony No. 5 in B-Flat Major, WAB 105 (1878 version, ed. L. Nowak)

1.(20:25) I. Adagio – Allegro
2.(18:06) II. Adagio
3.(12:35) III. Scherzo: Molto vivace
4.(24:30) IV. Finale: Adagio – Allegro moderato
total(75:36)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
ロリン・マゼール – Lorin Maazel (指揮)
録音: 1974年3月25-28日 ウィーン、ゾフィエンザール

ブルックナー 交響曲第5番<タワーレコード限定> ロリン・マゼール 、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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この第5番は、マゼールにとってはベルリン放送交響楽団との第3番に続く録音となった音源で、結果としてウィーン・フィルとの唯一のブルックナー録音となりました。



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