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カラヤンの名盤 ドヴォルザーク新世界より 1940年最初の録音

カラヤン
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こんにちは、
ともやんです。

1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻しました。
第二次世界大戦の始まりです。

これよりヨーロッパは、戦場と化して行きます。
しかし、その中で人々は生活し、また演奏会も続けられていきます。

さて、ドイツ軍がポーランドに侵攻する約4か月半前の4月15日、カラヤンは、初めてベルリンフィルとレコード録音をしました。

曲目は、チャイコフスキーの悲愴。

まるで、前年のフルトヴェングラーの同じく悲愴の録音に対抗するかのようです。

そしてしばらく置いて、1940年2月から、ベルリンフィルとの録音を再開します。

この新世界よりは、この時録音です。

新進気鋭の若手指揮者カラヤンに嫉妬するフルトヴェングラーは、コンサートでベルリンフィルを指揮することを許しませんでしたが、レコーディングまでは止めることはできませんでした。

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カラヤン ドヴォルザーク交響曲第9番”新世界より” 1940年録音

アントニン・ドヴォルザーク – Antonin Dvorak (1841-1904)
交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95, B. 178
Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95, B. 178, “From the New World”

1.(09:47)I. Adagio – Allegro molto
2.(13:11)II. Largo
3.(07:27)III. Molto vivace
4.(09:44)IV. Allegro con fuoco
total(40:09)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン – Herbert von Karajan (指揮)
録音: March 1940

『ベルリン・フィル~名演奏集[10CD]』

『ベルリン・フィル~名演奏集[10CD]』
ベルリン・フィルによる歴史的名演を集めた激安な10枚組。

F.レーマン、ベーム、シューリヒト、ヨッフム、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、
E.クライバー、チェリビダッケ、カラヤンといった名匠達による有名な演奏を収録した好企画盤です。

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カラヤンとフルトヴェングラーとチェリビダッケと

1938年に初めてベルリンフィルを振って、「奇蹟のカラヤン」と好評を得たカラヤンですが、フルトヴェングラーに嫌われて、彼が亡くなる1954年までの16年でわずか10回しか指揮出来ませんでした。

一方、45年から54年まで400回以上指揮したのがチェリビダッケでした。

普通に考えれば1954年にフルトヴェングラーの後任と考えれば、チェリビダッケでしょう。

ところがフルトヴェングラーの後任となったのはカラヤンで、チェリビダッケは、カラヤン在任中は、一度も指揮することなく、ベルリンフィルの歴史から抹殺されたてしまいました。

このフルトヴェングラーとカラヤンとチェリビダッケの関係をまとめて記述した、中川右介著の「カラヤンとフルトヴェングラー」は、めっちゃ面白い読み物です。

カラヤンの名盤 フルトヴェングラーも止められなかった録音

1940年当時、カラヤンは、猜疑心の強いフルトヴェングラーの意向でベルリンフィルのコンサートには出られなかったのです。

でもレコード録音は、フルトヴェングラーでの止められなかったので、40年には、このドボルザークの新世界を録音しています。

演奏は、第1楽章はゆったりと入って、後半の楽章でスピードを上げ、終楽章の追い込みのスピード感は凄いものがあります。

後年のスタイルがほぼ出来ている感じです。

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最後に

 

カラヤンは、ドヴォルザークの新世界よりは何度も録音しています。

僕はその全部を聴いていませんが、この30代前半の録音にはすでに後年のスタイルがある程度出来上がっています。

しかし、僕が興味あるのは、この40年の録音が、ずっとロマンティックな演奏にだということです。

この当時よりも前、カラヤンはベルリンにいるときは、よくフルトヴェングラーのリハーサルを聴きに行っていたそうです。

もしかして、フルトヴェングラーに影響がその表現に出ていたのかもしれません。



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