こんにちは、
ともやんです。
エドワード・エルガー(1857-1934)は、1857年6月2日に、イングランドのブロードヒースに生まれ、オルガン奏者である父に手ほどきを受けて、はやくから父の助手としてオルガンを演奏していました。
その後はほとんど独学で作曲、指揮演奏法などを学び、12歳のとき、最初の作品「青年の指揮棒」を書きました。
1877年にポリッツァノにヴァイオリンを学び、また、アマチュアの指揮者をしていましたが、1885年、父の死後、聖ジョージ教会堂オルガン奏者を継いで、静かな生活の中で作曲家を目指していました。
そんなエルガーをイギリスの国民的作曲家に押し上げたのは、1889年に結婚した9歳年上のキャロライン・アリス・ロバーツの励ましでした。
プレヴィン 名盤 エルガー交響曲第1番
エドワード・エルガー – Edward Elgar (1857-1934)
交響曲第1番 変イ長調 Op. 55
Symphony No. 1 in A-Flat Major, Op. 55
1.(19:31)I. Andante nobilmente e semplice – Allegro
2.(06:52)II. Allegro molto
3.(13:00)III. Adagio
4.(12:27)IV. Lento – Allegro
total(51:50)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 – Royal Philharmonic Orchestra
アンドレ・プレヴィン – Andre Previn (指揮)
録音: July 1985
プレヴィン エルガー交響曲第1番 高貴に簡素に
「ノビルメンテ・エ・センプリーチェ」(高貴に、そして簡素に)とは、エルガーの交響曲第1番のモットー主題に付された表情記号です。
これは、まさしく、エルガーの作風全体、人生そのものを指すように思われてなりません。
そしてそのモットーそのままに演奏したものが、プレヴィン指揮ロンドンフィルの演奏です。
誇張された表情は少しもなく、ただ気品をもって、心優しい音楽が組み立てられていきます。
第三楽章のアダージョなどは、ただただ美しく懐かしく、胸がキュンとするような哀愁に満ちた演奏です。
僕は、プレヴィンの演奏を聴いて、エルガーが、そしてこの交響曲第1番が大好きになりました。
プレヴィン エルガー交響曲第1番 ハンス・リヒターが初演
エルガーが第1交響曲を完成されたのが、1908年で、既に彼は51歳になっていました。
ブラームスやブルックナーよりも奥手というわけですが、その重厚なオーケストレーションから、ブラームスの第5交響曲と渾名されることもありました。
もちろんエルガーがブラームスの亜流ということはなく、僕はブラームスも好きですが、ブラームスの私小説的なセンチメンタルよりも、エルガーはもっと気品のある哀愁を感じさせます。
初演指揮者は、「エニグマ変奏曲」と同じ名指揮者ハンス・リヒターでした。
ブラームスの第3交響曲、ブルックナーの第8交響曲の指揮者でもあるリヒターは、エルガーの作品を好んでたびたび指揮していたそうです。
まとめ
歴史上に名を遺す作曲家たちは、こと幸せな結婚、しかもその結婚により作曲家として大成した人は、なんか少ないような気がします。
ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーのように生涯独身だった作曲家もいますし、これは芸術家としての宿命なのでしょうか。
その中で、エルガーは、アリスという伴侶を得たことで、彼女の献身的な励ましで作曲家として大成した稀有な存在だと思います。
もしかして、教養があり詩作の才能もあったキャロライン・アリス・ロバーツがエルガーの才能を信じ、彼に作品を書かせたという風にも捉えられます。
実際、1920年にアリスを失ってからのエルガーは、霊感を失い事実上創作の筆を折ってしまいました。
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