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フルトヴェングラー 交響曲第1番 ロ短調

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こんにちは、
ともやんです。

1954年11月30日、ヴィリヘルム・フルトヴェングラー死去。68歳でした。

第二次大戦中もドイツ国内中心に活動していたことから、ドイツ敗戦後は、戦犯容疑でコンサート活動が禁止されたが、審議の結果無罪となり、1947年5月から活動を再開。

しかし、その活動期間も僅か7年ほどで終わったわけです。
今日は、命日ということで、作曲家としてのフルトヴェングラーの作品を聴きました。

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フルトヴェングラー 指揮もする作曲家に憧れ

フルトヴェングラーは、元々は作曲家志望でしたが、生活のため指揮者となりその活動の方が注目され、またそれにより忙しくなり作曲家としての活動は思うように出来なかったようです。

本人は、マーラーのように指揮も出来る作曲家に憧れていたようですが、本人の優柔不断な性格なのか、またはマネジメントのせいなのか、復帰後の活動をみているとよくわからない仕事も引き受けていて、ちゃんと作曲の時間をしっかり取っていないということもわかります。

つまり根っからの芸術家であり舞台人で、ビジネスやスケジュール管理が苦手だったようで、またどうも猜疑心も強かったようで、録音に関しても録音スタッフに信頼して任せるというスタンスではなかったようで、残された資料からそう感じてしまいます。
結局そんな感じで、実況録音が多く残されているようです。

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フルトヴェングラー 交響曲第1番

解説によると、フルトヴェングラーは交響曲第1番を演奏しないで生涯を終えています。
1989年にアルフレート・ヴァルターが録音して、その2年後に初演された作品。フルトヴェングラーほどの著名な人の作品としては、なんで死後30数年ものちに初演されたか不思議です。

一方、交響曲第2番は、フルトヴェングラー自身も演奏し録音も残しています。著名な指揮者としてもヨッフムや朝比奈が録音を残しています。

今回、2019年の新しい録音で聴いて、演奏はファウジ・ヘイモア指揮ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管。

聴いてみて重厚な作品ですが、80分以上を要する長い曲でしかも難解で親しみにくいのは確かです。でももう少し聴かれてもいいかなというのが正直な感想です。

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フルトヴェングラー 交響曲第1番 ロ短調

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (1886-1954)
交響曲第1番 ロ短調
Symphony No. 1 in B Minor

1.(27:15) I. Largo
2.(10:04) II. Scherzo: Allegro
3.(21:05) III. Adagio
4.(29:45) IV. Finale: Moderato assai
total(88:9)

ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団 – Wurttembergische Philharmonie Reutlingen
ファウジ・ヘイモア(ハイモー) – Fawzi Haimor (指揮)
録音: 6-8 March and 1-4 October 2019, Studio der Wurttembergischen Philharmonie Reutlingen, Germany

フルトヴェングラー: 交響曲第1番 ロ短調 ファウジ・ハイモー 、 ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団

20世紀を代表する指揮者の一人、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。彼は幼い頃から作曲に勤しみ、青年期の1910年には印象的な『テ・デウム』を自身の指揮で初演、成功を収めたこともあり、マーラーのような「指揮もする作曲家」を目指していました。

しかし指揮者としての活動が忙しくなってしまい、作曲活動は中断。じっくり作曲に取り組めるようになったのは、1935年に作品の上演が禁止されていたヒンデミットを擁護したことをきっかけにナチスと対立し、ベルリン・フィル音楽監督をはじめ公職を辞してからでした。

彼の創作熱は再び高まり、以降、亡くなるまでの20年間に2つのヴァイオリン・ソナタ、ピアノ五重奏曲、ピアノ協奏曲と3つの記念碑的な交響曲が生まれています。

4つの楽章からなる「交響曲第1番」は1938年から1941年に書かれ、後期ロマン派の流れを汲みブルックナーの影響を感じさせる長大な作品。1903年に発表した「ラルゴ」という作品が、若書きながらもアイディアの源となっています。

しかしこの曲をフルトヴェングラー自身は演奏することなくこの世を去ってしまい、結局1989年にアルフレート・ヴァルターが録音、公開ではその2年後に同指揮者によって世界初演されたという経緯を持っています。



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